ナニコレ!? 田んぼにニョキっと出現する「謎のコンクリ構造物」の正体 台湾に点在する“戦争の名残” なれの果てが面白ぎる!?

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太平洋戦争末期、日本の統治下にあった台湾には多くの軍事施設が建設されました。戦後80年以上が経過し、それらの“戦争遺跡”は今、高雄では生々しい姿で、ある場所では地域のシンボル、そして花蓮では全く別の“キャラクター”へと姿を変えています。

元航空基地近くに建設された防空砲台跡が今も遺り続ける

 太平洋戦争末期、日本には各地に、敵軍が上陸した際に備えて防空砲台や掩体壕(えんたいごう)といった施設が建てられました。日本国内でも遺構としてのこる施設が各所にありますが、当時、日本が統治していた台湾も同様です。

 今なお台湾の各地で、こういった日本統治時代の軍事施設跡が手付かずのまま複数のこる一方、地域にとって別の意味を持つようになったり、なぜか“明るいモニュメント”に改装されたりと、戦後80年以上を経て、様々にその姿を変えているのです。

 台湾の中でも特に防空砲台跡や掩体壕(えんたいごう)跡が多くのこるのが、南部の大都市・高雄です。日本統治時代の1930年代、当時の日本が考えた「南進政策(東南アジアや南洋諸島への進出)」の最重要拠点となった高雄は、旧日本軍の関連施設が多く存在しました。

 これらのうち、大型の航空隊基地や軍官学校などは後に台湾を統治する中華民国政府がそのまま引き継ぎ今日に至りますが、街中などに点在する防空砲台跡や掩体壕(えんたいごう)といった小さな軍事施設は、手付かずのままのこっている例も多くあります。

 筆者(松田義人:ライター・編集者)が2025年に訪れたのが、中華民国空軍軍官学校(元岡山航空基地)にほど近い、塩埕・彌陀エリアにある防空砲台跡。工場などが立ち並ぶ省道17号線沿いに突如現れるニョキっとした砲台は、四方に敵を撃つための穴が設けられている二階建て式。その頑丈な作りが、80年以上経った今も朽ち果てることなく現存しており、戦時中の生々しさを感じる貴重な遺跡となっています。

 また、台湾中部・彰化の郊外にある番婆村にも高雄の防空砲台跡によく似た遺跡があります。日本統治時代、この番婆村周辺には主に軍用の彰化飛行場が建設され、これに合わせて防空砲台も建設され、今も朽ち果てることなく田んぼの真ん中に現存しています。

 ただし、高雄の防空砲台跡がただただ静かに遺り続けるのに対し、番婆村の防空砲台跡は、地元では「村を象徴するモニュメント」のように捉えられている様子です。

 近隣の公園には防空砲台跡を模した建物がある他、歩道の塀などには防空砲台や軍用機がかわいく描かれていたりして、何か、日本統治時代の重要な軍事拠点だったことを、地元では「負の歴史」としてではなく前向きに捉えている様子がうかがえます。

掩体壕を「ミッキー風像」に改装!?

 また、台湾東部・花蓮中心部の小高い山にある美崙山公園にも、かつて旧日本軍が建設した掩体壕が遺り続けていましたが、「かつての悲しい戦争を連想させるものは取り壊すべきだ」として1980年代に解体が決定します。

しかし、ここで花蓮県政府は大胆なプランを決議しました。それは「悲しい戦争を連想させる掩体壕を、楽しく平和なミッキーマウス風の像に改装する」というもの。相応の予算を持って作られた元掩体壕のミッキーマウス風の像は、以降今日まで花蓮の象徴の一つであり続け、旧正月前には花蓮県政府の負担で清掃・整備なども続けられています。

 もちろん、この像はあくまでも「ミッキーマウス風」なのであって、本家のそれではないわけですが、今日では「この像がかわいい」と、国内外の観光客の間でも熱い視線を浴びるようになり、花蓮の映えスポットの一つにもなっています。花蓮県政府も自信満々で「景勝地・太魯閣と並ぶ花蓮の名スポット」としているようですが、筆者としては、平和の象徴の像が本家に目をつけられないことを密かに祈っています。

 このように台湾各地にも防空砲台跡や掩体壕跡が今ものこる一方、そのあり方は様々に転じられているところは、いかにも台湾的な前向きさを感じます。そして、結果的に平和を示しているようにも感じます。

 台湾各地にのこる日本統治時代の遺構を見て巡ることは、戦争の歴史を感じるとともに、日台の知られざる歴史に触れる機会にもなることでしょう。