さいたま東部「7.2kmの鉄道新線」は採算とれるの? 90年前に消えた鉄路の夢再び…事業費1440億円の勝機は

ハードだけでない蓄電池ビジネス

2026年3月、埼玉県とさいたま市が埼玉高速鉄道の浦和美園~岩槻間7.2kmの事業化を鉄道事業者に要請しました。2041年の開業を目指す計画の背景と、90年前に廃止された“幻の鉄道”との関係とは。

埼玉高速鉄道の延伸構想が動き出す

 2026年3月28日に開業25周年を迎えた埼玉高速鉄道(SR)の延伸構想が動き出しました。埼玉県の大野元裕知事とさいたま市の清水勇人市長は2026年3月31日、浦和美園~岩槻間7.2kmの事業化を鉄道事業者に要請しました。

 事業費は約1440億円。整備は都市鉄道等利便増進法に基づき、営業主体をSR、整備主体を鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)とする上下分離方式を採用する予定です。2026年度に整備構想・営業構想認定申請を実施。2030年度に都市計画決定し、2041年の開業を目指します。

 課題は採算性です。事業が補助対象となるには「累積黒字転換点が30年以内」が基準となります。2023年度にも事業化が議論されましたが、概算建設費が当初の1.5倍となる1300億円とされたことで、さいたま市が採算性に懸念を示し、要請が見送られた経緯がありました。その後の検証で採算性の条件を満たせる見込みとなり、今回の決定に至りました。

 延伸区間の輸送需要の大半は岩槻駅の利用者になると思われます。SRの2024年度の1日平均乗降人員は東川口駅の約1.8万人が最多なのに対し、東武野田線岩槻駅は3.3万人です。周辺駅利用者を含めて都心直通ルートに転移すれば、一定の需要は見込めます。また、臨時駅となる埼玉スタジアム駅もサッカー開催時は賑わうことでしょう。

 問題は、浦和美園~岩槻間の「浮谷」地区に整備される「中間駅」です。ここはさいたま市の中でも開発が遅れている地域で、1970年代後半の地図と比較しても、目白大学さいたま岩槻キャンパスが1994(平成6)年に開設した以外、ほとんど変わっていないことが分かります。

 さいたま市は延伸区間の採算性を確保するため、中間駅周辺のまちづくりを同時並行で進めるとしていますが、今回の事業化要請では、広さ45~65ヘクタール、定住人口4千人程度としていた従来想定を、最大120ヘクタール、1万人程度に引き上げました。

勝機はある? 市はまちづくりに自信

 このようなまちづくりは可能なのでしょうか。中間駅が置かれる浮谷地区(浮谷下停留所)の公共交通は現在、国際興業バスの岩槻駅行き、浦和美園駅・東川口駅行きの路線バスのみで、運行本数は朝ラッシュ時間帯ですら1時間1~2本程度です。

 さながら「陸の孤島」の同地域ですが、都心からの距離で見れば人気住宅地である流山おおたかの森、新鎌ヶ谷、新百合ヶ丘、所沢と同程度の好立地です。現在はバスとSRの乗り継ぎで都心まで1時間15~20分を要しますが、延伸が実現すれば50分台で結ばれます。所要時間はやや長いですが、地価の安さで勝負すれば勝機は十分あるでしょう。

 さいたま市は首都圏の政令指定都市で人口増加率(2015~2020年)が最も高く、子どもの転入超過数が全国1位の都市です。2026年3月1日現在の人口は約135万人で、2005年から約18万人、2015年から約9万人増加。世帯数はそれ以上のペースで増加しています。

 今後は首都圏も人口減少とは無縁でいられませんが、国立社会保障・人口問題研究所の2023年推計では、さいたま市の人口は2035年頃まで増加し、以降も同水準を保つ見込みです。市は人口推計が上振れしていること、SRの輸送人員数がコロナ禍前の水準まで回復していること、民間事業者から「住宅地としてのポテンシャルが高く、開発規模を拡大すべき」との声があったことから、開発規模を見直したと説明します。

 中間駅のまちづくりは「みどりと未来にこころ浮き立つ、人を育てる100年続くまちづくり」をコンセプトに、駅から徒歩10分(半径800m)の範囲にウォーカブルで緑豊かな環境を整備するとしており、これを「新たな田園都市的まちづくり」と称しています。

 さいたま市がまちづくりに自信を見せるのは、過去に浦和美園、西大宮付近で新駅開業にあわせた区画整理事業を成功させた実績があるからです。浦和美園は1995(平成7)年から2020年で、駅周辺1kmの人口が2602人から1万5391人に増加しており、中間駅でも再現を狙う格好です。

 鉄道に取り残されてきた浮谷地区ですが、実は約90年前、1938(昭和13)年まで私鉄「武州鉄道」の浮谷駅がありました。東川口、浦和美園から岩槻、そしてSRの計画上の終点である蓮田まで、SRとほぼ並行して走った武州鉄道は、蓮田・岩槻方面から建設したため都心に接続できず、経営難で廃止されてしまいました。

 痕跡はほとんどありませんが、目白大学前通りや県道324号蒲生岩槻線の一部は武州鉄道の線路を転用したものです。90年越しの再チャレンジは実を結ぶのでしょうか。