「日本最長の昼行特急」10年ぶりに特別復活! そこ停まる!? 名古屋飛ばす!? やけに揺れる!? 抱腹絶倒の7時間超!

大阪駅と長野駅を往復する団体臨時列車が2025年12月に運行されました。約10年前まで走っていた当時の「最長昼行特急」が復活した形ですが、ハプニングづくしで7時間以上を走りぬけていきました。

「日本最長の昼行特急」10年ぶりに大阪へ!?

 2025年に創業120年を迎えた日本で最も歴史のある旅行会社で、現在はJR西日本の子会社である日本旅行が、大阪-長野間で臨時列車「日本旅行創業120周年記念号」を2025年12月6、7日に走らせました。所要時間は片道7時間を超えました。

 この列車は、同社が創業3年後の1908(明治41)年に現在の滋賀県草津市から善光寺(長野市)へ貸し切り列車で向かった団体旅行を「現代風に復刻」したと解説します。

 しかし、参加した筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)が日本旅行の吉田圭吾社長に尋ねると、意識したのは、2016年3月のダイヤ改正で廃止された特急「しなの」の大阪―長野間を結ぶ列車だと明かしました。ツアーでは「しなの」でかつて活躍した車両の乗り心地を“追体験”できるハプニングも待ち受けていました。

 現在は名古屋と長野を結んでいる「しなの」には、1971年4月から2016年3月まで、東海道本線を西進して大阪駅を発着する、通称「大阪しなの」が1日1往復ありました。大阪、京都、滋賀、岐阜、愛知、長野の2府4県を通過し、走行距離が441.2kmに上る「日本最長の昼行特急」として親しまれていただけに、廃止時には、惜しむ声が広がりました。

 団臨では、現在の「しなの」や廃止直前の「大阪しなの」でも運用されていたJR東海のステンレス製特急形電車383系のA7編成(6両)を使用。曲線が多い途中の中央本線(通称・中央西線)でも高速で走れるように、車体傾斜装置の一種「制御付き振り子」を備えた車両で、「大阪しなの」の廃止以来、10年弱ぶりに大阪へ舞い戻りました。

 日本旅行は「おとなび」と「赤い風船」、メディア・アライアンス・トラベル(MAT)営業部の3種類のツアーを募集し、幅広い年齢層の298人が申し込み、「満員御礼」となりました。中でもMAT営業部の鉄道ファン向けのツアーは、「先着80人を募集したところ3分で完売し、後日10人を追加募集した」(日本旅行)とか。また、一部のツアーの参加者は7日に善光寺本堂での大法要に出席しました。

「大阪しなの」も通過の駅で15分停車 “知事が出てきた!”

 団臨のため途中駅での他の列車の通過待ちや、行き違いなどの停車時間を含めて、大阪から長野が7時間1分、長野から大阪が7時間32分を要しました。一見すると悠長に見える行程ですが、大阪から長野へ向かった往路は「綱渡り」の場面もありました。

 大阪駅11番線への入線は、特急「サンダーバード」7号敦賀行きが8時10分に出発した後です。このため、出発は入線4分後の8時25分という慌ただしさでしたが、参加者の多くは、大阪にカムバックした383系をカメラのファインダーに収めようと懸命でした。プラットホーム上の乗車口にある電光掲示板には「しなの」と表示され、さりげなく「大阪しなの」の復活を印象づける“粋な演出”もなされていました。

 入線後も撮影に夢中な参加者に、添乗員は「ご乗車ください!」と促し、「発車2分前です」などと残り時間を伝えて乗り遅れがないように心を砕いていました。

 ユニークだったのは、現役時の「大阪しなの」が停車しなかった草津駅に15分停車し、元JR西日本社員の三日月大造・滋賀県知事らが出席して、ホーム上で出発セレモニーが開かれたことです。

 三日月氏は、現在の草津市で創業した日本旅行が、現存する旅行会社で最も歴史があると紹介し、滋賀県として「私たちは誇りにしたいと思います」と言及。日本旅行創業者の故・南新助氏のひ孫である南啓次郎・南グループ代表は「南新助(氏)は旅行業というのはお客様の一生に残る宝となる思い出を作る、そのお手伝いをする仕事と申しておりました」と振り返り、自身を含めた創業家も参加して「私にとりましても生涯忘れない思い出となりますように、十分楽しんでまいりたいと思います」と笑みを浮かべました。

 車内で昼食として振る舞われた弁当は南グループの南洋軒が調製し、近江牛のすき焼きや赤玉こんにゃくといった滋賀県産またはゆかりのある食材をふんだんに用いました。

 列車には日本旅行の「宣伝部長」、サンリオの人気キャラクター「ハローキティ」も乗り込み、車内を巡って乗客との記念撮影に応じました。オーバーオール衣装をまとっており、関係者は、「しっぽが見える衣装で登場するのは珍しいです」と説明しました。

“名古屋飛ばし”もどき

 特急形電車を使い、途中で客室の扉が開閉するのは4駅と「大阪しなの」よりも少なく、まるで“超特急”のようでした。しかし、向日町(京都府向日市)では側線に入り、新快速と関西空港発京都行き特急「はるか」4号の通過待ちをするなど、定期列車のダイヤを縫って走る団臨ならではの“逆転現象”も発生しました。このため大阪から京都までは47分と、30分弱で結ぶ新快速よりはるかに“鈍足”でした。

 利用者の乗降がないため客室の扉が開閉しない「運転停車」の尾張一宮(愛知県一宮市)では11時12分から7分間の停車中、後から来た普通電車が先に出発しました。

 続いて通常の「しなの」の起点である名古屋でも、珍事が待ち受けていました。名古屋でも運転停車だったため客室の扉扱いはなく、東海道新幹線の「のぞみ」でかつて波紋を呼んだ“名古屋飛ばし”もどきが起きたのです。

 名古屋からは中央本線(中央西線)に入り、12時51分着の南木曽(長野県南木曽町)では19分間の停車中に名古屋発長野行き「しなの」11号が猛スピードで追い抜きました。

 当日は快晴だったため北アルプスを見渡せ、「日本三大車窓」のうち、唯一列車が運行中の姨捨(長野県千曲市)付近からは善光寺平を一望できました。参加者からは「本当にきれいな景色ですね」と感激する声が聞かれました。

 長野駅の2番線に15時26分に到着すると、改札口の外では、横断幕を持った関係者と長野県の観光PRキャラクター「アルクマ」が出迎えました。

実は利いていません!? 図らずも味わった“ガチ振り子”

 翌12月7日の長野発大阪行きは、「しなの」の一部列車しか停車しない奈良井(長野県塩尻市)に約40分停車し、乗客は中山道の宿場町だった「奈良井宿」を散策したり、買い物を楽しんだりしました。

 中央西線のカーブで、筆者は「懐かしい揺れ方だな」と気づきました。関係者に尋ねたところ、「一部の車両の制御付き振り子が正常に作動していない」とのことでした。何と、「しなの」が383系に置き換わる前の381系の自然振り子状態が奇しくも“復活”していたのです。

 JR西日本の特急「やくも」(岡山―出雲市)で2025年1月に運転された臨時列車を最後に全廃された381系の乗り心地まで“追体験”できたことに、筆者はひそかに夢見心地になりました。ところが、揺れがロッキングチェアのように心地よかったせいか、不覚にも睡魔に襲われ、目が覚めると中央西線の区間が終わろうとしていました。

 21時02分に終点の大阪駅に着くと、ホーム上にはカメラを持った鉄道愛好家らが列をなしていました。「しなの」の次世代車両である385系の量産先行車が2026年度に完成予定のなかで、383系の大阪乗り入れは「おそらく最後の機会」(関係筋)とのことです。

 筆者が日本旅行の吉田社長に、団臨のルートは「大阪しなの」の復活を意識したのかを尋ねると、「それはおっしゃる通りです」と認めました。その上で、「われわれの強みである、鉄道ファンが喜ぶような企画をしっかりと考えていきます」とし、今後も団体臨時列車を使った旅行商品を積極的に出していく方針を明らかにしました。

「列車がスピードアップし、目的地に着くまでの単なる移動手段のようになっている現状とは少し違う、本当の意味で鉄道の旅を楽しむことを、いろいろと企画して参りたい」(吉田氏)という老舗旅行会社の“ポスト創業120周年”の行方が楽しみです。

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