米下部から“昇格”を決めた平田憲聖「僕でもできると示したかった」 マスターズ切符かけて日本OP参戦

<日本オープン 事前情報◇15日◇日光カンツリー倶楽部(栃木県)◇7238ヤード・パー70>

今季米下部のコーン・フェリーツアーを主戦場とした平田憲聖。先週の最終戦を終えて年間ポイントランキング15位に入り、20位以内に付与される米国男子ツアーの出場権を手にした。セレモニーを終えて14日夜に帰国し、“凱旋帰国”の今週は8月の「Sansan KBCオーガスタ」以来、2試合目の国内参戦となる。
昨季は日本ツアーで年間4勝を挙げて賞金ランキング2位。同年末の米国男子ツアーQTは8位で、直接最高峰の舞台に行ける5位以内には入れなかったが、26年の“昇格”を目指して米下部挑戦を決めた。

1月の開幕戦「ザ・バハマズ・グレート・アバコクラシック」の2位タイを皮切りに、25試合に出場。2位2回、3位2回を含むトップ10入り5回などの成績を残した。「本当に長いシーズンでしたし、最初からPGAに上がるという目標でやっていました。そこに対して自信もあった。しっかり達成できて良かったと思います」。想像通りレベルの高いフィールドでもまれながら、夢の舞台の切符をつかんだ。

年間ランキング15位で終えた一年を振り返ると、「100パーセント自分の力が出せたかというとそうでもなかったし、やっぱり勝ちたかった」と優勝できなかった悔しさは残る。「レベルの高い中でそう簡単には勝てない。ただ、自分の中では成長できたし、出せる力は毎試合出せたかなと思います」とうなずく。

海外での経験は平田を大きく成長させた。一つは対海外選手。「今までは海外の選手と回ると自分を見失っちゃうときもあったけど、毎週戦っていくうちに、自分の中で慣れていきました」と海外選手に臆することはなくなった。

また、米国は日本では珍しい芝質のコースがあり、「バミューダとかベントとかいろんな芝があるので、アプローチの引き出しとか対応力は成長したかなと思います」と話す。

ただ、決して平らな道ではなかった。異国で苦労したのは食事と移動。PGAツアーと違い、同地区でまとまった試合を組むスケジュールではなく、国内に時差のある大国で週ごとに大移動を強いられることもあった。

食事に関しても「おいしく食べられるものが少ない」と、毎試合のように家を借りて自炊で力をつけた。炊飯器はなく「フライパンでお米を炊いていました」。動画を見ながら腕を磨き、「みなさんにおいしいと言ってもらえると思う」というほど、フライパンで米を炊く技術も身につけた。

強い思いが過酷な一年間を支えた。「僕は背も大きくないし、飛ぶわけでもない。それでも、海外でもやれることを証明したかった。挑戦しないのは良くない。やってダメだったらダメで、やらないと分からない。自分でも経験したかったし、僕でもできると示したかった」ときっぱりと言い切った。

今週は14日夜に帰国して栃木入りし、この日18ホール回って調整を行った。ハードスケジュールでも今大会に出場を決めた理由は、今年から加わった“副賞”が「一番大きい」。今年からは優勝者に来年の「マスターズ」出場権が与えられる。「マスターズは小さい頃からテレビで見ていた夢の舞台。限られた人しか出られないですし、目標の場所です」。

「きょうしか調整する時間がなかった。コースもきょう初めて回りましたし、なかなかいいコンディションではないですけど、自分のできるいいゴルフをして、優勝争いできたらいいなと思います」。時差ボケが残る中での最終調整となったが、一年間で身につけたタフさで4日間を戦い抜き、大舞台の切符を狙う。(文・小高拓)

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