50歳・岩本高志がプロ27年目に悲願の初V! 20代でイップス発症し「アマチュア的発想」で克服

<スターツシニア 最終日◇15日◇スターツ笠間ゴルフ倶楽部(茨城県)◇7038ヤード・パー72>

2日目を終えて首位から3打差以内に18人がひしめく大混戦となった「スターツシニア」。最終日も順位が目まぐるしく変動する中で、シニアルーキーの岩本高志(50歳)が最終18番パー5のバーディで1つ抜け出し、白熱したゲームに決着をつけた。
1998年のプロテストに合格してから27年目。今大会が岩本にとってレギュラー、シニアを通じて初めてのツアー優勝だった。最後のパットを沈めると、「泣きそうになりましたけど、ルーキーで泣いていちゃダメだなと思って我慢しました」と空を見上げた。

東京都出身の岩本は、中学生のときに父親の影響で初めてクラブを握る。ゴルフの名門・東京学館浦安高、専修大学を経て、山梨県で研修生として腕を磨いた。23歳のときにプロ転向。身長165センチと小柄だが、研修生時代からドライバーは曲がらないことで評判だった。2019年には、フェアウェイキープ率で稲森佑貴に次いで2位に入ったこともある。

ツアープロとなってからは、レギュラーツアーになかなか定着できず、下部ツアーを行ったり来たりの生活。すると、27歳のときにキャリアの危機が訪れる。「ドライバーイップスになったんです。ボールは右か左。それまで真っすぐしか行かなかったのが、真っすぐだけ行かない。ドライバーを構えるのも嫌でした」。ストロングポイントだったドライバーの正確性が失われ、成績がまったく出ない日々がしばらく続く。

「最初は何とかやりくりしていましたけど、そんなに甘い世界ではない。本当にゴルフをやめようと思っていました」。プロゴルファーの全盛期ともいわれる30代中盤の2010~2012年の3年間で出場したのは、たったの2試合。一度ツアーから距離を置き、代わりに現在の所属先でもあるインドアゴルフスクール『K’s GOLF LOUNGE』でレッスン活動を始めた。
それでも、ツアーへの情熱の火は完全に消えたわけではなかった。「右にも左にも行くのなら、右だけ打てばいいと思ったんです。左だけは行かないように」。ドライバーではとにかく右に打ち出すことを意識。すると、出球が安定し始めた。「右にしか行かないのなら、そのぶん左に向けばいい。本当にアマチュア的な発想です」。10年近くかけて、ようやくドライバーイップスを克服。「直したっていっても、昔より曲がりますよ。でも気にならなくなりました」。

レギュラーツアーでの最高成績は16年の「ダンロップ・スリクソン福島オープン」の2位。同年に初シードを獲得している。41歳のときだった。

翌17年、シードを落としてからは、下部ツアーで試合勘を養いながら、シニアツアー参戦に向けて、コツコツと練習を続けてきた。今年1月に50歳の誕生日を迎え、シニアデビューを果たすと、開幕から4位、4位、9位と快進撃。4戦目でついに長年の努力が実を結んだ。

その優勝を決めた18番グリーンには、両親とプロゴルファーの弟・岩本通の姿があった。「ゴルフを始めたきっかけは父親。スイングのことで昔はよく衝突もしました。最近は僕の成績をネットで見て喜んでくれているのは分かっていた。でも、まさかこうやって初優勝を見せられると思っていなかった。本当に…うれしいです」。86歳の父の目の前で達成した“父の日V”に言葉を詰まらせる。岩本にとっても家族にとっても忘れられない一日となった。

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