でずたるコラム~太宰府ってなんだ(1)~

大宰府天満宮
2019年、新元号「令和」が発表されたときに一躍話題になった「大宰府」。そもそも、大宰府ってなんだっけ?という方、このコラムをどうぞ。

「令和」で話題になった場所


「令和」で、メディアに最も登場したところと言えば、太宰府だ。
「有名な天満宮があるところ?」、「太宰治と何か関係があるのかな」。見たり聞いたりしたことはあるけれど、よく知らないという人は多いんじゃないかしら。

太宰治と関係があるというのは確からしい。雑誌のインタビューで本人が、ペンネームについてこんな風に話している。「万葉集をめくっていて、太宰帥(そち)大伴の何とかって云う人が、酒の歌を詠っていたので、酒が好きだから、これがいいっていうわけで」。

大伴の何とかというのは、「令和」の出典になった万葉集第5巻「梅花の歌 序文」を書いた、太宰府の長官であった大伴旅人のこと。「令和」と太宰治はつながっている。

有名な太宰府天満宮も、関係は大ありだ。平安時代に陰謀で右大臣から太宰府に左遷され、太宰府の高官の現職のまま亡くなった、菅原道真の墓の上に建てられている。
それじゃあ、その太宰府というのはいったい何なのか?


今は何があるの?


大宰府ってなんだ?

古代から中世にかけて、大陸・朝鮮半島に向けた日本の外交・防衛の拠点であり、九州地方を統括する西の都として、国の役所が置かれた場所が、太宰府だ。
太宰府の政庁跡は国の特別史跡になっている。が、拍子抜けするほど今は何もない。史跡公園の草の原に、建物の礎石や往時を記録する碑がたっているだけだ。

次回は、太宰府が置かれた場所について、話を続けよう。
((2)へ続く)


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