
日本男児(にほんだんじ)
男の美しさは「孤高の人」ですが、これが最近は生息していません。男が女に迎合している限り、男の居場所はますますなくなります。前回の話でも書きましたが、男は放出のエネルギーを持ち、女は受容のエネルギーで男のそれに応えることで、陰陽の法則が成り立ちます。日本の男と女はそういう仕組みです。
最近、日本に大人の女が少なくなりました。若い、かわいいという言葉が女への誉め言葉ですが、それと同じように大人の男も少なくなったので、可愛い、若々しいというのが男への誉め言葉になっています。幾つになってもお子ちゃまのおままごとのような家庭生活が営まれています。ですから、結婚すると女はいきなり母親になってしまうのです。
びっくりですね、昨日までは椅子も一人で引けないような女がいきなり家では「きちんと座りなさい」とか、真夜中でも一緒にラーメンをすすっていたのに「夜中にラーメンなど食べると体に良くないのよ」「朝食食べないとエネルギーはでないわ」、休日は「黄色のセーターにしなさい、若々しく元気に見えるわ」…ほとんど男を着せ替え人形化している家庭も多いのです。
大人の男を目指すと国が締まる
新年に向けて門松の準備が進む
男という字は田んぼで力を出すという文字があてられ、農耕民族であった日本では、先祖の残した人間文化を次の世代につなぐ役目を持っているのです。男は大きく社会と関わり、社会の仕組みの中で生活の指導力を発揮したのですが、いつの間にか行動できない、”放出できない”男になって、女の指導を仰ぐようになってきたように思います。
つまり、女の論理に引きずられているのが現在の男たち、というイメージがあります。男は社会の矢面に立って、初めて男としての放出の義務を果たし、リーダーとしての資質を発揮できると思うのです。
今から高々50年前の話ですが、各地方には若衆宿という制度があり、15歳になった少年(地方によっては9歳の場合もありました)を男の仲間として受け入れ、そこで男としての道徳を先輩が教育する、そういう場所に取材をしたことがあります。集まった男の年齢は20代から90代。男の年齢の全てが顔をそろえていました。
女には茶道や華道、裁縫料理などの稽古事があり、そこで道徳や倫理を教わるのですが、男たちにはこの若衆宿が道徳倫理を教わる場でした。年齢幅が広いので、いろんな立場からの教育がなされました。
日常的な作法の代表、履き物を脱いだ時の始末から始まり、祝儀の渡し方、その街の歴史や日本人としての誇りの持ち方、相手に仕事を頼むときの頼み方、それは相手の成長のためにと考えることが大事であること、酒の場、女の扱いなどなど。女関係の教育の場には私は入れてもらえませんでしたが、カメラマンは同席を許され、他言できないと言う話でしたが、何か楽しそうでした。後に30年ほどしてその話の内容を聞くことができ、男というのはこういう教育を受け大人になっていくのかと、日本の男教育に感動をしたものです。
老人を介護施設に入れてしまうのではなく、長く生きた経験体験を参考にして男たちがお互いに男を磨く場を設けていたのが日本の社会環境にあったのです。大人の男が増えると日本の社会も成熟し女も成長ができます。「可愛い」という言葉が社会にはびこっている限り、国の成熟は望めません。
男の役目・女の役目を明快に
着物は日本の伝統をつなぐ
男と女は同権ですが平等ではありません。何回も言いますが男は放出のエネルギー、女は受容のエネルギーを持ってこの世に生を受けているのです。そして何事も放出が先、「出入り口」とも言うように、出るものが出てしまわないと新しいものは入ってこないのです。この法則を誤ると絶対に調和はなく、何事も成就しないことになっているのが自然法則なのです。
男の行動力や男の決断が、今この時代、最も大切な時ではないでしょうか?世は「女の時代」と女をもてはやす人が多いのですが、女が表面に勇ましく出る時代というのではなく「女性エネルギー」が調和を生む時代になったっということなのです。女性エネルギーは「愛」です。その愛を男たちがどう理解するかが、この大きな転換期を支えていくポイントになるように思います。
【執筆者プロフィール】
中谷比佐子(なかたにひさこ)
株式会社秋櫻舎代表取締役。一般社団法人日本元気シニア総研顧問。着物文化研究家。きものエッセイスト。
「着物が私をどう変えるか?」をきっかけに、着物を切り口に日本の文化を学び伝えている。『きものサロン』はじめ、着物雑誌の企画監修、執筆。風水、Aura-Somaティーチャーの顔も。
ブログ:チャコちゃん先生のつれづれ日記
『 【チャコちゃん先生の課外授業】日本をもっと深く識る~「女の時代」に男はどう生きるか? へのコメント 1件 』
・今の時代の男は肩身が狭いわ。