「あー」「うー」が当時の流行語に 『多磨霊園に眠る総理大臣①』大平正芳

大平正芳さんのお墓

多磨霊園には歴代総理大臣を経験した人たちが8名眠っています。第12代・第14代(1906.1.7-1908.7.14、1911.8.30-1912.12.21)西園寺公望。桂太郎と交互に長期安定政権「桂園時代」(1901-1913)をつくったのちの元老です。2・26事件で命を落とした首相経験者、高橋是清 第20代(1921.11.13-1922.6.12)、齋藤實 第30代(1932.5.26-1934.7.8)、大脱出を敢行し未遂で命拾いした岡田啓介 第31代(1934.7.8-19363.9)。そして、昭和天皇の叱責が原因で亡くなった田中義一 第26代(1927.4.20-1929.7.2)がいます。これら5名の人物は既に別項目で取り上げているので、今回はまだ取り上げていない人物たちを紹介します。

 第68代・第69代(1978.12.7-1979.11.9-1980.6.12)内閣総理大臣を務め、首相在任中に逝去した大平正芳。演説の答弁の際に「あー」「うー」と前置きすることから「あーうー宰相」と呼ばれ、「あー」「うー」は当時の流行語となりました。また風貌から「鈍牛」とも呼ばれた人物です。

大平正芳さんのお墓

 大平正芳(おおひら・まさよし)。香川県出身。海軍兵学校を志願するも身体検査で不合格となり、高松高等商業学校に進学し、東京商科大学を経て、1936年(昭和11年)大蔵省に入省。横浜税務署長、主計局主査、建設局公共事業課長などを歴任、大日本育英会の設立に尽力しました。1951年より池田隼人大蔵大臣秘書官となります。翌年、池田の誘いを受けて大蔵省を退官し、自由党公認で衆議院議員選挙に香川2区にして出馬し初当選。以後、連続当選11回。

 1960年第一次池田隼人内閣で内閣官房長官に就任。「所得倍増計画」を打ち出した池田内閣を支え、高度成長の扉を開きました。第2次・第3次池田内閣では外務大臣。佐藤栄作内閣が発足し政調会長をつとめ、1968年第2次佐藤内閣の通商産業大臣を務めます。1971年旧池田派を受け継ぎ、宏池会を継承して宏池会会長に就任して大平派を誕生させ、翌年の総裁選に出馬しましたが田中角栄に敗れます。しかし田中とは盟友関係を保ち、田中内閣で外務大臣や大蔵大臣を兼務し、日中の国交正常化を実現させることに尽力。三木内閣でも外務大臣を継続。福田赳夫内閣では自民党幹事長に就任。そして、1978年12月7日に内閣総理大臣に就任しました。

 首相としての内政として田園都市構想、外交として環太平洋連帯構想・総合安全保障構想を提唱。冷戦時代において米国を要望する西側陣営の一員・国際社会の一員として、日本の役割を意識した政策を打ち出しますが、モスクワオリンピックのボイコットの発表、一般消費税の導入に関する発言などから支持率を下げ、また田中角栄の影響が強く「角影内閣」と揶揄されます。政権基盤も弱く、1979年の衆院選挙で自民党が過半数を割り込む惨敗を喫してしまい、自民党内でも大平退陣要求が出るなど分裂状態となり、「四十日抗争」と呼ばれる党内抗争が発生しました。更に翌年、社会党が内閣不信任決議案を提出し、採決時に分裂する自民党の反主流派が公然と欠席し可決に追い込むのを見て、大平は衆議院を解散し、参議院選挙の日程も繰り上げて、初の衆参同日選挙に踏み切りました。

 1980年5月30日選挙戦突入の初日の街頭演説直後より「胸が苦しい」と訴え、虎の門病院に緊急入院。政治的激動に対する心労と過労、不整脈によるもので、一時は容態が安定したかにみえましたが、6月12日心筋梗塞により選挙運動中に不帰の人となりました。享年70歳。戦後初の首相在任中の急死(5・15事件の犬養毅首相暗殺以来48年ぶり。病死は加藤高明首相が1926年に心臓発作で急死以来。近年では小渕恵三首相が記憶に新しい)で、伊東正義官房長官が首相臨時代理となり、自民党内の分裂騒動からのダブル選挙が、大平の死によって修復、結束され、結果は衆参両院における自民の圧勝となりました。「死せる大平、党を蘇らす」といわれました。後任の首相は、反主流派側は自粛し、総務会長で財界交渉を行っていた社会党在籍経験がある鈴木善幸が総理となりました。葬儀は内閣・自民党合同葬として行われました。

大平正芳さんのお墓

 大平正芳の墓石の裏面には、首相臨時代理をつとめた伊東正義官房長官の直筆で「君は永遠の今を生き 現職総理として死す 理想を求めて倦まず たおれて後已まざりき」と刻まれています。

大平正芳  埋葬場所: 9区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/oohira_m.html

※大平正芳の墓は郷里の豊浜にも分骨墓が建ちます。

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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