レンガの内側に隠されたサインや作品名 『思い出のお墓』 水野洽×大石団蔵(高見弥市)×親泊朝省

水野洽さんのお墓

「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを長年やっていると、著名人のご遺族の方々や歴史研究家、出版社などの方々から連絡をいただくことが多くあります。私個人的に思い出深い著名人のお墓を紹介します。

 多磨霊園は年に一回行われる抽選にて墓所地を得ることができます。人気霊園が故、その抽選に当選する確率も低いのですが、見事抽選に当たったものの、今度はどこの石材屋にお願いをすれば良いのかわからず、たまたま「歴史が眠る多磨霊園」のホームページにたどり着き相談を受けたことがあります。それが映画監督の水野洽のご子息で演出家・脚本家の甲斐守尚(かいもり・しょう)氏です。私は学生時代に小野田石材店でバイトをしていたご縁があったので紹介をしました。そして、墓所の設計から建立段階、外柵のレンガ組み立てなど立ち合わせていただきました。

水野洽さんのお墓

 水野洽(みずの・ひろし)は北海道空知郡芦別村出身。1934年(昭和9年)に日本大学芸術科を卒業。翌年より、日活多摩川撮影所監督部に入社します。内田吐夢、田坂具隆、島耕二ら監督を師事し、日活多摩川全盛期の「土」「暢気眼鏡」「風の又三郎」など名作品の助監督をつとめました。1942年に大映に移り、1946年監督に昇進。1949年「お嬢さまお手を」でデビュー。代表作に「誘拐魔」「性生活の智恵」「笑う地球に朝がくる」「名犬物語・吠えろシェーン」、山田風太郎原作の「高校生と殺人犯」などがあります。’54退社。以降は、ドキュメンタリー映画、教育映画、産業映画、成人映画など各種映像を監督。また海外テレビドラマの日本版製作の監修なども手がけました。晩年は自宅敷地内に小劇場「宇宙舘」を開き、若い劇団に創造の場を提供しました。

 墓所の外柵はレンガの手作りであり、レンガにはひとつひとつ生前お世話になった方々のサインや作品名が書き込まれています。ただ、内側に書き込まれているため、外側からは見られません。墓石の裏に「CINEMA」と刻むのが、唯一見える刻みです。

 幕末維新を研究されている方から連絡があり、多磨霊園に改葬されたであろう大石団蔵(高見弥市)が眠る墓を探し当てた時の感動も思い出です。

大石団蔵さんのお墓

 大石団蔵(おおいし・だんぞう)は現在の高知県出身の土佐藩士です。1861年(文久1)土佐勤王党に加盟し、翌年、刺客の一人に選ばれ、高知城下で藩参政を務めていた吉田東洋を暗殺します。土佐勤王党の命を挙げたかに思えましたが、暗殺者のレッテルを貼られ脱藩せざるを得なくなってしまいました。京都の長州藩邸に逃れ、久坂玄瑞の保護を受けます。やがて薩摩藩邸に移り潜伏20ヶ月ののち、薩摩藩士の奈良原喜八郎(繁)に保護され薩摩入り。奈良原の養子となって高見弥市(たかみ・やいち)と改名、薩摩藩士に召し抱えられました。

大石団蔵さんのお墓

 薩摩藩亡命後は、西洋学や蘭学などを学び、1865年(慶應1)藩内から15名の青年藩士と4名の使節団を選抜し、イギリスへの留学を命ぜられます。この中に土佐出身にも関わらず選抜され、変名として松元誠一を名乗り密航。ロンドン大学に留学し、運用測量、機関学、数学を学び、1867年帰国し、鹿児島県内にて算数教師として育成に従事しました。なお、薩摩藩英国留学生の多くは後の明治新政府の要職に就き日本の近代化のために尽力することになります。

 出版社からの依頼で墓所地を見つけ出すお手伝いをしたこともあります。ノンフィクション作家の澤地久枝氏の著書『自決こころの法廷』では、陸軍大佐で殉死を遂げた親泊朝省(おやどまり・ちょうせい)が取り上げられています。人物史を綴り最後にたどり着くのは「お墓」ですが、多磨霊園のどこにあるのかわからず筆が止まってしまったようです。出版社の方から問い合わせをいただき、大捜査を行いました。墓石を発見しましたが墓誌がなく、裏付けを取るために管理事務所の方々の協力も得、確証した思い出があります。

親泊朝省さんのお墓

 親泊朝省は、1925年(大正14年)陸軍士官学校(37期)を首席で卒業。陸軍大学を経て、騎兵学校教官や戦術教官を歴任します。太平洋戦争では作戦主任参謀として、ガダルカナル島の攻防戦に身を置き、大本営報道部員や阿南惟幾の秘書も兼ねました。終戦時は内閣情報局情報官を務め、敗戦が決定すると「草莽の文」と題した遺書を陸軍内部に配布し、軍の反省と日本の将来を憂います。1945年9月2日戦艦ミズーリ号で日本が無条件降伏文書に調印した翌日、妻と子二人とともに拳銃自決をしました。『自決こころの法廷』では未発表の関係書簡も紹介され、親泊朝省一家の自決までの心に迫ります。

水野 洽  埋葬場所: 9区 2種 40側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/mizuno_h.html

大石団蔵(高見弥市) 埋葬場所: 22区 1種 5側(高見家)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ooishi_d.html

親泊朝省  埋葬場所: 25区 2種 8側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/oyadomari_c.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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