人気絶頂期の死は自殺だったのか…『伝説のドラマーとカリスマDJ』ジョージ川口×青木達之×瀬葉淳(ヌジャベス)

ジョージ川口さんのお墓

戦後、進駐軍の影響や笠置シヅ子が歌った『東京ブギウギ』が大ヒットしたことで、「ジャズ」が大衆化します。この時期にジャズドラマーとして活躍し、後にジャズ界の巨匠とまで称されたのは、ジョージ川口です。

 ジョージ川口は京都府出身。本名は川口譲治。父の川口養之助はサックス奏者であり日本ジャズ界の草分け的存在です。6歳の時に満州に家族で渡り、大連でアメリカ映画『ハリウッド・ホテル』を観て、ジーン・クルーパのドラム・ソロに感激、その日からドラマーを志します。戦時中、満州飛行学校でパイロットの資格を習得しますが、飛行機事故に遭遇。奇跡的に九死に一生を得ます。終戦後しばらくは、大連市内の父親のバンドと共にし、1947年内地に引き揚げ後は、横浜の米軍クラブに出演しました。この年に、三木トリロー・バンドへ加入しプロデビューをします。人気に拍車をかけたのはツーベース・ドラム・スタイルを採用し一層の迫カをプレイに盛り込むようになってからで、以後はこのツーベ一ス・ドラムがジョージ川口のトレード・マークとなりました。

 1953年に当時のトップスターの松本英彦(ts)、中村八大(p)、小野満(b)とビッグ4を結成し、翌年から始まった文化放送の「トリス・ジャズ・ゲーム」にレギュラー出演。ジャズのブームを巻き起こしました。日本ジャズ界で最もめざましい功績を残したジャズマンに贈られる南里文雄賞をはじめ、ジャズ界で初めて芸術選奨文部大臣賞、日本作曲大賞音楽文化賞、紫綬褒章を受章しました。ジャズ発祥の地のアメリカ・ニューオリンズ市より名誉市民の称号も贈られます。口ひげに蝶ネクタイ姿もしくはスーツ姿で多くのファンに親しまれ、パワフルなドラムで観客を魅了し続けました。石原裕次郎主演映画「嵐を呼ぶ男」のモデルだったともいわれます。

青木達之さんのお墓

 人気バンド「東京スカパラダイスオーケストラ」のドラマーとして活躍していた青木達之(あおき・たつゆき)。東京出身。慶應義塾大学卒業後、出版社に入社。1987年(昭和62年)東京スカパラダイスオーケストラ(スカパラ)に結成時より加入。出版社に勤務しながらライブ活動に参加し、1989年(平成1年)インディーズレーベルよりアナログ盤「東京スカパラダイスオーケストラ」をリリース、翌年メジャーデビューをします。

 スカパラ活動以外にも、ドラマーとして高橋幸宏、小沢健二、坂本龍一、他多数アーティストの作品、コンサートツアーなどに参加。また小泉今日子のヒット曲「丘を越えて」や、小沢健二らの多くのアーティストへの楽曲提供も行っていました。

 そんな人気絶頂期、1999年(平成11年)5月2日午後11時15分頃、東京都世田谷区豪徳寺の小田急線の線路上にあお向けに横たわっているところを、相模大野発新宿行き上り急行電車にはねられ死亡しました。現場は豪徳寺駅から約70メートル新宿寄りの線路上。同駅のホームから線路に降り、歩いて事故現場まで行き、電車にはねられたとみられています。警視庁北沢署の調べによると自殺の可能性が大きいとしていますが、遺書などは見つかっていません。享年32歳でした。

 ジャズを元にした独特のヒップホップ音楽のトラックメイカーとして活躍していたのが、DJの瀬場淳(せば・じゅん)。アーティスト名はNujabes(ヌジャベス)。

瀬葉淳さんのお墓

 瀬場淳はペンネームで、ローマ字表記「SEBAJUN」を逆さから読んだ名前「ヌジャベス」をアーティスト名として使用していました。本名は山田淳。東京港区出身。1995年(平成7年)21歳の学生の時に渋谷区宇田川町にてレコード店「GUINNESS RECORDS(ギネスレコード)」を開店。1999年に渋谷区神南に「Park Avenue Studios(パークアベニュー・スタジオ)」を設立しました。インディペンデントレーベル「hydeout productions」の主宰も兼ねます。2003年8月21日にファースト・アルバム”metaphorical music”をリリース。翌年パリコレクションにてコムデギャルソンの音楽ディレクターを務めました。また渡辺信一郎監督からラブコールを受け、フジテレビアニメ「サムライチャンプルー」のサウンドを制作。Sonar Sound Tokyo出演等を経て、2005年11月11日セカンド・アルバム”modal soul”を発表。オリコン最高35位。その他、多くの楽曲に参加しました。

 現代の音楽業界の流れとは裏腹に宣伝活動を行わず、純粋に音=作品のリリースのみで世界中のリスナーから絶大な支持を得た稀代のプロデューサーとして活躍。ヒップホップを軸としたメロディアスかつリリカルなサウンドで高い人気を誇り、テニスプレーヤーの錦織圭選手が試合前にいつも聴いているということで注目されました。2010年(平成22年)2月26日深夜、東京港区内の首都高速を降りた地点で交通事故に遭遇し、渋谷区内の病院に搬送されましたが早逝。享年36歳でした。

ジョージ川口  埋葬場所: 9区 2種 32側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/george_kawaguchi.html
※川口家のお墓には父でジャズ・サックス奏者の川口養之助も眠ります。

青木達之  埋葬場所: 8区 1種 14側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/aoki_t.html

瀬葉 淳(ヌジャベス)  埋葬場所: 11区 1種 18側(山田家)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/seba_j.html
※山田家墓所内の墓誌には本名の山田淳の横に「NUJABES・瀬葉淳」と刻みます。

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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