【タイタニック生還の日本人と大霊界】細野正文×丹波哲郎

平成時代には多くの映画作品が配給されました。多くの名作がありますが、今回は平成元年にブームになった企画・原案・脚本・製作者・総監督をつとめた丹波哲郎が手掛けた『大霊界』と、1997年(平成9年)ジェームズ・キャメロン監督・脚本で世界的大ヒットとなった映画『タイタニック』を取り上げたいと思います。

 『タイタニック』の映画は実話をもとに創作された作品です。全長270メートルの世界一巨大な豪華客船「タイタニック号」が、1912年4月10日(明治45年)イギリスのサウサンプトン港からニューヨーク行きの処女航海に出発しました。乗客乗員は合わせて2,200人以上。出航から4日後の夜、タイタニック号は氷山と衝突。2時間40分後に沈没。1500人以上が命を落とす未曾有の悲劇のなか、数多くの英雄と卑怯者が生まれました。このタイタニック号に乗り合わせた日本人がいます。細野正文です。

 細野正文(ほその・まさぶみ)は新潟県出身。1896年(明治29年)東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、三菱合資会社に入社するも、翌年退社し、逓信省に入省します。逓信省は交通・通信・電気を幅広く管轄していた中央官庁です。細野は鉄道分野の担当者として、新橋駅の貸物係を皮切りに、経理部調査課主事、鉄道員主事などを歴任します。

 1910年鉄道院副参事の時に、第1回在外研究員としてロシア・イギリス視察に派遣されました。1912年イギリスからニューヨークを経由して帰国途上の際に、唯一の日本人乗客としてタイタニック号に乗船し事故に遭遇します。細野は二等船室に乗り合わせていました。沈没間際に救命ボートに乗客が乗り込む場面に偶然出くわし、二人分の余裕があるという声を聞き、乗り込み一命を取り留めました。多くの犠牲者を出した大事故で生還したにも関わらず、有色人種差別的な思想を持っていた白人乗客の書いた手記によって、卑劣な手段で強引に乗り込んだ「恥ずべき行いをした日本人」として伝えられ、新聞や教科書にまで批判の文章が掲載されてしまいます。 これを受けて帰国後翌年、鉄道院主事を免官されてしまいます。1925年鉄道事務官も退官し、以降は、岩倉鉄道学校で勤務をしました。細野は一切の弁明をせず不当な非難を生涯耐え、1939年(昭和14年)に亡くなります。

 細野没後、1941年救助直後に残した事故の手記が発見され、1997年タイタニックの遺品回収を手がけるRMS財団は細野の手記や他の乗客の記録とも照らし合わせた調査から、白人乗客と細野は別の救命ボートに乗っており人違いであることが確認され名誉回復がなされました。 なお、細野の孫はミュージシャンの細野晴臣です。

映画「大霊界」の丹波哲郎

 映画「大霊界」シリーズの総監督をつとめ、空前の大ヒットを飛ばし社会現象を巻き起こした丹波哲郎。
 丹波哲郎(たんば・てつろう)は東京出身。祖父は薬学者の丹波敬三(多磨霊園2区1種6側に墓があります)。父は画家の丹波二郎、三男として生まれます。本名は丹波正三郎。

 中央大学在学中に学徒兵として陸軍航空隊に入隊。戦後は外務省からの要請でGHQの通訳を2年間務め、その後は職を転々としながら、夜はアマチュア劇団を主催。1951年(昭和26年)新東宝に俳優として入社しました。1952年ギャング映画『殺人容疑者』で主役級としてデビュー。主に悪役や敵役で重宝され、1959年よりフリーとなりました。英国映画『007は二度死ぬ』でショーン・コネリーと共演、テレビドラマでも『トップ屋』『三匹の侍』『キイハンター』『Gメン’75』など多くの名作に出演し、数多くの賞を得ている名俳優です。

 傍ら、心霊学と霊界に造詣を持ち、霊界の著書を70冊以上出版。この流れで「大霊界」シリーズが生み出されていきます。
 「何故霊界は存在するのか?」という質問に対して、丹波は「霊界はエネルギーだから。存在しないと思ったって、我々がエネルギーだから、我々の体が無(亡)くなったら仲間の中に帰るわけだ。仲間というのは霊界のエネルギーだ。エネルギーには色々な種類が有って、類魂と言う一つのグループを作ります」と述べています。

細野正文  埋葬場所: 10区 1種 18側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hosono_ma.html

丹波哲郎  埋葬場所: 9区 1種 13側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tanba_te.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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