「民本主義」が生まれた時代【大正時代①:大正デモクラシー】 吉野作造×浮田和民

吉野作造

2019年5月1日より元号が平成から「令和」に改元されました。天皇一代に元号一つという一世一元の制が明治から始まり、大正、昭和、平成、令和と続いてきました。今回は1912年から1926年までの15年間の大正時代にスポットを当ててみたいと思います。なお、多磨霊園は1923年(大正12年)に開園しました。開園した同年、関東大震災が起こります。震災という暗いイメージもありますが、明治から大正となり日本の国として大きな変革があった時代でもあります。その象徴が「大正デモクラシー」。意味はわからなくてもこのフレーズの響きを耳にしたことがある人は多いと思います。

 デモクラシーとは「民本主義」(民主主義)のことで、「政治とは国民全体の幸福を中心に考えるべきだ」として、民衆を政治の根本におく考え方のことです。民主主義の現代では当たり前となっていますが、大正時代の国を動かす政府の官僚たちは、国民の幸せより一部の人たちの都合を中心に考えていた傾向が強かったため、天皇のそばで政治を操作していた枢密院や、軍部、一部の税金納税者しか選挙権を与えられていない制限選挙でした。それを無くし万人が政治家を選べるシステムにするべきと唱えた人物が吉野作造です。

 吉野作造は宮城県志田郡大姉村(大崎市)出身。二高在学中にブゼル牧師のバイブル・クラスに参加したことを機にキリスト教に入信。東京帝国大学を卒業し、政治史を研究し、後に教授となります。『中央公論』にて政治評論や時事評論を発表。1916年(大正5年)1月号にて民本主義を論じた「憲政の本義を説いて其の有終の美を済すの途を論ず」を発表します。一般民衆の利福を政治の目的とし、政策の決定には一般民衆の意向を反映することだとした主張は大きな反響を呼び起こし、大正デモクラシーの代表的な論客として注目されました。

 「民本主義」の考え方は、筆頭に天皇、次に内閣や議会、そして国民となるピラミッドが理想と唱え、天皇制を認めたうえで官僚の人たちの特別な権利を無くし、国民の選んだ国会議員が中心となって日本の政治を行っていくという考え方です。当時の大日本帝国憲法では、天皇が政治の頂点と決められていたため、国民が政治の頂点であることをあらわす「民主主義」は憲法に反する言葉となるので、国民の考えに基づいて政治が行われるべきだという主張を、憲法に違反することなく掲げるために「民本主義」という言葉を生み出しました。

浮田和民

 吉野に影響を与え、民本主義につながる理論を最初に提唱したとされる人物がいます。政治学者の浮田和民です。
 浮田和民は肥後国(熊本県)出身。熊本洋学校に入り、キリスト教に入信し、吉野と同じように宣教師から民主主義的な考え方を学びます。1880年(明治13年)『六合雑誌』創刊に参与、評論活動をはじめ、自由民権的な議論を展開します。1892年より2年間アメリカに渡り、エール大学で史学・政治学を学び、帰国後、同志社教授となり政治学、国家学、憲法の講義を担当しました。

1897年学内紛争の際に「外国人宣教師論」を発表し、外国人宣教師を厳しく批判したことが原因で、同志社を辞職。東京専門学校(早稲田大学の前身)講師として移籍しました。以降、教授となり44年間に渡り、早稲田大学で西洋史学、政治学を講じました。

 この間、1909年から1919年(明治42年から大正8年)雑誌『太陽』の主幹として活躍し、「内に立憲主義、外に帝国主義」という自由主義的・民主主義的主張は、吉野を始め、当時の学生や知識人に大きな影響を与えました。浮田の主張は「政体上の民主主義は君主国家と調和する」として、民意を反映する政体の必要を説き、選挙権拡張・比例代表制などを主張しました。また労資協調にも踏み込み、労働者・婦人に同情的な社会問題の解決も説きました。

二人の発言により民主主義的な発展の兆しを生むことになり、1925年(大正14年)男性普通選挙の実現に繋がっていきました。

吉野作造 埋葬場所: 8区 1種 13側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yoshino_sa.html

浮田和民 埋葬場所: 4区 1種 25側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ukita_kz.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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