『神奈川県庁舎「キング塔」秘話』 池田宏×小尾嘉郎

 現在は都市開発が進み、高い建物が増えたみなとみらい。しかし、この街には昔ながらの建物がまだまだ多く現存します。関内・日本大通り地区の塔のある建物はトランプになぞらえ、神奈川県庁本庁舎“キング”、横浜税関“クィーン”、横浜市開港記念会館“ジャック”の「横浜三塔」と言われ、3塔を一度に見られるスポットを巡ると願いが叶う「横浜三塔物語」など古くから愛されています。


※横浜市開港記念会館(ジャック塔)

 キング塔以前の神奈川県庁舎は関東大震災で焼失してしまい、その後、財政難のため平屋のバラック建でした。1928年(昭和3年)神奈川県知事であった池田宏の呼びかけで神奈川県庁舎は竣工されることになります。

池田宏さんのお墓

 池田宏(いけだ・ひろし)は静岡県出身。官僚の池田忠一(同じ墓に眠る)の長男です。東京帝国大学を卒業後、内務省に入ります。各県の事務官を経て、土木局道路課長や港湾課長になり、新設された都市計画課長に就任。構成メンバーのリーダー格として道路都市計画等法制の調査立案を行い、1919年(大正8年)我が国初の都市計画法(法律第36号)を起草しました。

1920年社会局初代局長に就任するも、同年に後藤新平が東京市長になったことで、永田秀次郎、前田多聞(多磨霊園に眠る)らと共に東京市助役に招かれ転出。池田・永田・前田の名前に「田」がつく3人の補佐役を「畳屋(たたみや)」と呼ばれました。これは、畳の旧字体「疊」は田が3つ重なっていることからです。またこの3人に後藤と電気局長の長尾半平(多磨霊園に眠る)を入れ、世に「三田二平」の新市政と呼ばれ、多くの事業に尽力しました。

その後、京都府知事を経て、1926年より第27代 神奈川県知事に就任します。当時大正天皇は体調がすこぶる悪く、葉山のご用邸で療養することとなり、神奈川県での池田の最初の仕事は名誉ある陛下の看護でした。しかし毎日現地の警護所で寝泊まりしその任に務めるも、就任の年12月25日崩御されました。一年喪に服し、1928年(昭和3年)神奈川県庁舎再建を発案、「神奈川県庁舎懸賞設計競技」として設計を公募しました。一等賞金は五千円(当時の大卒の新入社員の年収が千五百円だった時代)。審査委員長は耐震構造学の権威の佐野利器が務めました。見事、当選したのが小尾嘉郎です。

小尾嘉郎さんの墓

 小尾嘉郎(おび・かろう)は山梨県出身。父が相場で失敗したため、1918年(大正7年)自費で名古屋高等工業建築科に入学。この時の建築科長が夏目漱石の相婿(妻同士が姉妹)鈴木禎次であり、小尾は鈴木の助手となり、松坂屋などの多くの設計を手伝い、腕を磨きました。卒業後は東京市電気局工務科に勤務。住宅の懸賞設計にこつこつ応募をしていた時に、神奈川県庁舎の懸賞を知り応募しました。


※神奈川県庁舎(キング塔)

 当選した小尾の設計図を基に神奈川県庁本庁舎が大林組にて施工されます。構造は鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(地下1階、塔屋付)。昭和初期に流行した帝冠様式の先駆けとなったデザイン。外壁はスクラッチタイル貼り。中央の高塔が特徴であり、「キングの塔」の愛称で現在でも親しまれることになります。

 小尾嘉郎が眠る「小尾家之墓」は、神奈川県庁舎が完成した5年後の昭和8年建之。神奈川県庁舎を模してデザインした墓石となっています。

池田 宏 埋葬場所: 2区1種2側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ikeda_hi.html

小尾嘉郎 埋葬場所: 2区2種6側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/obi_k.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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