凶弾に倒れる3年前に関わった「横浜税関」『二・二六事件スピンオフ 建物編』 柳井平八×金子隆三

 1936年(昭和11年)2月26日に元老重臣が殺害重傷を負った「二・二六事件」。教育総監であった渡邉錠太郎が襲撃を受けた杉並区上荻2丁目の「渡邉錠太郎邸」。この邸宅を設計・建築したのが柳井平八です。

柳井家のお墓

 柳井平八(やない・へいはち)は、岡山県出身。1910年(明治43年)に東京高等工業を卒業後、陸軍建築部に就職します。陸軍関係の建築技術者として勤務し、軍人以外は昇進しにくい軍の組織の中で、最後は高等官一等(勅任官)、局附(局長同格)まで登りつめました。

 関東大震災の際は大蔵省震災調査委員会委員や陸軍震災善後委員を務め、また一年間かけて10か国を廻り世界の建造物視察も行いました。陸軍関係の建築に従事した他に、宮家、靖国神社の建築物や軍関係者の私邸なども建築しました。代表的なものに、旧閑院宮別邸(箱根強羅花壇)、陸軍大臣・宇垣一成邸などがあります。1945年に56歳の若さで没しています。

 「渡邉錠太郎邸」は事件後も長男が住んでいましたが、2008年(平成18年)取り壊されることとなり、玄関や居間などの建物の一部が杉並区に寄贈され、杉並区指定有形文化財(歴史資料)に指定されました。2010年「二・二六事件の現場 渡邉錠太郎邸と柳井平八」展が杉並区郷土博物館分館で開催され、渡邉錠太郎及び同邸関係資料並びに柳井平八関係資料325点が展示されました。

 二・二六事件で命を落とす現場となった高橋是清の自宅「仁翁閣」が、のちに多磨霊園の休憩所として活躍し、現在は小金井公園の江戸東京たてもの園に移築されていることは、高橋是清の項にて紹介しました。その高橋是清が凶弾に倒れる3年前に関わった「横浜税関」の話をします。

 横浜・みなとみらいに建つ横浜税関の別称「クィーン塔」をご存知でしょうか。青緑色のドームを持つ高い塔“クィーン”塔。神奈川県庁の“キング塔”、横浜市開港記念会館の“ジャック塔”をあわせて、「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして親しまれています。

横濱税関
※横浜税関

 関東大震災で税関庁舎が倒壊し、その後、財政難のため税関は平屋のバラック建でした。1932年(昭和7年)金子隆三が横浜税関長に着任します。当時の大蔵大臣であった高橋是清が「失業者救済のために土木事業を起こすべきである」と発言したことを受け、失業者救済のために、横浜税関庁舎建設に乗り出しました。

横濱税関

1年後に完成し、正面玄関の表札は高橋是清の直筆で「横濱税関」と掲げられました。二・二六事件の3年前の出来事です。この高橋是清の直筆「横濱税関」の表札は現在も掲げられています。

多磨霊園にある金子隆三さんのお墓

 クィーン塔の生みの親である金子隆三(かねこ・りゅうぞう)は北海道出身。父は小樽の漁業家・貴族院議員を務めた金子元三郎(同じお墓に眠る)です。

1911年東京帝国大学法科大学政治科を卒業後、税務監督局属として宇都宮税務監督局に勤めます。同年に文官高等試験に合格し、大蔵官僚となり主税局に入ります。以後は、品川税務署長、永代橋税務署長、大阪税関監視部長、預金部監理課長、預金部運用課長などを務め、第22代 横浜税関長に就任しました。この時にクィーン塔を建てます。横浜税関長退任後は預金部長を務め、大蔵省を退官。朝鮮殖産銀行理事・副頭取を務めました。

柳井平八 埋葬場所: 6区1種5側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yanai_he.html

金子隆三 埋葬場所: 10区1種10側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kaneko_t.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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