首相を守るために命を落とした護衛警官【日本最大のクーデター事件「二・二六事件」と多磨霊園 ④ ~首相官邸襲撃事件に関わった人たち~】村上嘉茂左衛門×土井清松×迫水久常

※写真は村上家之墓

二・二六事件の首相官邸襲撃にて4名の護衛警官が命を落としました。村上嘉茂左衛門巡査部長、土井清松巡査、小館喜代松巡査、清水与四郎巡査です。湯河原の旅館に滞在中の牧野伸顕前内大臣の警護を担当していた皆川義孝巡査も命を落としましたので、二・二六事件で命を落とした護衛警官は5名です。改めて最も多くの護衛警官が命を落とした首相官邸襲撃事件を振り返ります。

1936年(昭和11年)2月26日、午前五時頃、襲撃部隊は岡田啓介内閣総理大臣がいる首相官邸に侵入。林八郎率いる兵は裏門から侵入しました。官邸の玄関で襲撃隊を阻止しようとした小館喜代松巡査をその場で殺害。官邸内の非常ベルが鳴り響く中、岡田啓介の義弟の松尾伝蔵が官邸内の電灯を消してまわります。松尾と警備の警官の土井清松巡査は首相の寝室に飛び込んで岡田首相を連れ出します。この時、庭の非常口近くでは清水与四郎巡査が守っていましたが機銃弾に倒れました。岡田首相の外への脱出を諦め、駆けつけた村上加茂衛門巡査部長と三人で岡田首相を浴場に隠します。その後三人は廊下で応戦。村上巡査部長は椅子を盾に拳銃で応戦していましたが、射殺されてしまいます。土井巡査は林八郎に組み付きましたが、他の兵隊に後ろから切り伏せられました。松尾は中庭で射殺された後に寝室に運ばれ、そこに在った岡田首相の写真と比べられ、その写真の上にはめ込まれていたガラスに眉間の辺りからひびが入っていたこともあり、そのまま岡田首相だと断定されました。この間、女中部屋の押し入れに逃げていた岡田首相は命拾いをし、迫水久常首相秘書官らの気転により、翌日脱出し救出されることになります。


※土井家之墓

岡田首相を守るために命を落とした護衛警官の村上嘉茂左衛門と土井清松の墓所は、多磨霊園に隣同士並んで墓石が建ちます。両墓所内には二・二六事件で狙われ難を逃れた内務大臣の後藤文夫から贈られた「警察官吏及消防官吏功労記章」授章までの過程が刻む殉難碑が建ちます。

 二・二六事件で岡田首相救出作戦に一役買った総理大臣秘書官を務めていた迫水久常(さこみず・ひさつね)。迫水夫人の万亀は岡田啓介の次女。また岡田の後妻の郁は、迫水の父親の妹、つまり叔母に当たります。義父の岡田啓介の側近として日本国の中枢を見てきた人物であり、終戦当時の回想は、二・二六事件当時の話と合わせて1964年に著書『機関銃下の首相官邸』に発表したほか、内外のドキュメンタリー番組や、公開講演でたびたび行いました。国立国会図書館東京本館に二・二六事件、終戦当時を証言した迫水のインタビューの録音テープが保存・公開されています(インタビュー当時は、二・二六事件や宮城事件の関係者が存命していたので、関係者の迷惑にならないように、30年後に公開することを条件にインタビューと、その録音に応じた)。二・二六事件の当日の状況、様子を鮮明に伝えた貴重な資料となっています。

 迫水久常は鹿児島県出身。東京帝国大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入り、欧米駐在財務書記、甲府税務署長などを歴任。大蔵事務官と兼務し岡田啓介首相秘書官を務めている時に二・二六事件に遭遇しました。

その後は、大蔵省金融課長、企画院課長、銀行保健局長などを務め、戦時中は総力戦研究所員となり、戦時下少壮革新経済官僚として頭角を現わします。かたわら岡田啓介に情報を提供し、東条内閣打倒工作に協力、また鈴木貫太郎内閣の書記官長として終戦の実現に努めました。

 戦後は、1952年自由党より衆議院議員、1956年より参議院議員になり、第一次・第二次池田内閣で経済企画庁長官・郵政大臣に就任しました。自由民主党参議院幹事長や財団法人日本盲導犬協会初代理事長も務めます。

 大の飛行機嫌いであり、自宅がある東京と選挙区の鹿児島との往復は必ず列車での移動を徹底していました。

多磨霊園にある迫水久常さんの墓

その背景には、義兄で岡田啓介の長男の海軍大佐の岡田貞外茂(多磨霊園に眠る)が搭乗した飛行機が墜落事故を起こして亡くなっていることも理由のひとつとされています。

村上嘉茂左衛門(むらかみ かもざえもん)1888(明治21)~1936.2.22(昭和11) 埋葬場所:12区1種15側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/murakami_k.html

土井清松 (どい きよまつ) 1904(明治37)~ 1936.2.26(昭和11) 埋葬場所:12区1種15側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/doi_ki.html

迫水久常 (さこみず ひさつね)1902.8.5(明治35)~ 1977.7.25(昭和52) 埋葬場所:9区1種8側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/sakomizu_hi.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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