
夕暮れ時に灯るガス灯。懐古的な木組みの旅館。川に架かる赤い橋。そのどこか懐かしい風景は、雪が降る季節、遠い過去へと誘います。
テレビドラマ「おしん」の舞台にもなった 大正ロマンあふれる銀山温泉街
大正末期から昭和初期にかけて築かれたモダンな洋風建築が軒を連ねる銀山温泉街に足を踏み入れると、まるで数十年前にタイムスリップしたような感覚になります。テレビドラマ「おしん」の舞台となったことでも有名です。
昔から変わらずあり続けていたように見える温泉街ですが、歴史は平坦ではありませんでした。銀山温泉は、その名の通り、江戸時代初期に大銀山として栄えた「延沢銀山(のべさわぎんざん)」の名前に由来しています。鉱山が繁栄していたこの地には全国から様々な職種の人たちが集まり、町を形成していました。寛永年間(1624年~1645年)、川の中から湯が湧き出しているのを発見したのが始まりです。やがて銀山は衰退していきますが、一部の鉱夫たちが土地に残り、湯治宿の経営を始めました。1913年、湯治場として栄えていたこの街は、大洪水によりほとんどの宿が流されてしまったそうです。その後の復興で生まれたのが、今の温泉街の景観です。
初めて訪れた銀山温泉は、深い雪に包まれ、建物だけでなく、通りのガス灯や石畳等、温泉街全体が大正ロマンあふれる景観です。しんしんと降り続く雪が、ノスタルジックな空気感に溶け合います。この光景を見た者の多くが「昔懐かしい」と感想を抱くのは、どこか日本人の心象風景とオーバーラップするからなのかもしれません。湯治場らしく、街中には無料で楽しめる共同足湯(「和楽足湯」)もありました。時代は変われど、束の間の休息と憩いを求める旅人の姿は変わりません。
大正ロマンの風情が色濃く残る街並みにはらはらと舞い降りる粉雪は、見とれるくらいに幻想的です。
テレビドラマ「おしん」の舞台にもなった 大正ロマンあふれる銀山温泉街
のどかな日中の雰囲気も良いですが、夕暮れ時もまた風情があります。橋のたもとに立つガス灯に明かりが灯り、一層情緒豊かな雰囲気に包まれていきました。
それぞれの宿には鏝絵(こてえ)が掲げられ、夜になると点灯するガス灯が古き良き時代の面影を残す温泉街の趣をより深いものにします。鏝絵とは、左官職人が漆喰(しっくい)で作ったレリーフのことで、職人の心意気を感じさせます。
山間に広がる温泉街での、日常から切り離されたひと時を、心ゆくまで堪能できる銀山温泉ですが、目を引く洋風木造多層建築の旅館群の中で、存在感を放つのが「能登屋旅館」です。
創業は1892(明治25)年、本館の建物は1921(大正10)年に建てられたもので、国の登録有形文化財にも指定されています。風格ある建物はもちろん、柱や戸袋などに施された精細な鏝絵も見事です。宮崎駿のアニメ「千と千尋の神隠し」の油屋と「能登屋旅館」が、雰囲気が似ているとよく言われています。
大正時代に建てられた旅館が並ぶ中、今回宿泊した、白木の縦格子をふんだんに使った「藤屋」の建物はひと際目をひきます。設計したのは、「和の大家」隈研吾氏のデザインです。世界的建築家であり、2020年に行われる東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場も隈氏の設計です。間接照明が美しく、2008年に国際照明デザイナー協会(IALD)の最優秀賞も受賞しました。
客室から銀山温泉の街並みが見え、室内は簀虫籠(すむしこ)と呼ばれる細い竹のスクリーンに囲まれ、余分なものは一切ありません。間接照明を巧みに使った美しい室内です。廊下を歩きながら周囲を見渡しても、部屋の扉が見当たらず、スタッフが壁に手を掛けるとそこに壁と一体化したように扉がありました。旅館では当たり前にある部屋番号やドアノブもなく、「非日常」の世界が広がります。
時が止まった銀山温泉の世界で、少し急ぎ足の人生の歩みを止めて、ゆったりと自分を見直す一服の時を過ごすのは、最高の贅沢でしょう。街にガス灯がついたとき、心の灯もともるような熱を感じるかもしれません。
N.Shimazaki
Webメディアのプランナー・ライター・カメラマン。国際ビジネスコンサルタント。
北海道大学卒業後、ワールドネットワークを持ったドイツ系企業に所属し、システム、マーケティング、サプライチェーン、イベント等のアジアのリージョナルヘッドとして、多国籍のメンバーとともに世界各地で数多くのプロジェクトを遂行。世界の文化に数多く触れているうちに、改めて「外からみた日本」の魅力を再認識。現在、日本の手仕事、芸能等の文化、自然、地方の独創的な活動を直接取材し、全国、世界へと発信している。