
多磨霊園には自分の意志とは無関係に事件に巻き込まれて命を落としてしまった人も眠ります。今回は二つの事件を紹介します。
易学者として著名であった高嶋象山(たかしま・しょうざん)は、岡山県出身。旧姓は牧。易経に興味を持ち、19歳の時より易学の研究を始め、23歳の時に上京し、易業を開所しました。この時、高嶋易断で知られる高嶋嘉右衛門の影響により、高嶋易断総本部の門下に入り認められ、姓を高嶋と改めます。古来より伝わる日本易学や運命学、高嶋易学などを比較研究し、1932年(昭和7年)頃に「科学予言」という、まったく新しい学説を生み出しました。象山が考案した新しい学説、科学予言「高嶋象山易学」が完成すると、象山易学初代宗家となり、高嶋象山学派を開祖し、髙嶋易断総本部宗家を開所、「髙嶋象山易学鑑定所」初代宗家となりました。
1959年11月24日(昭和34年)高嶋易断総本部に大阪市の作業員(当時24歳)が訪問してきました。象山の長男の璋(高嶋崋象:同じ墓に眠ります)は、以前も訪ねて来た見覚えのある男であったことから応接間に通しました。 象山が来るまでの間、2人は雑談していましたが、青年が突然セーターの下に隠し持っていた刃渡り17センチの出刃包丁を持って暴れだし、璋の胸を一突きにしました。この騒ぎで隣室に居た象山が応接間に駆けつけましたが、興奮状態の青年は象山をも襲いメッタ刺しにしました。象山は出血多量で翌日早朝に逝去。享年73歳。璋は奇跡的に命を取り留めたものの全治3か月の重傷を負いました。
青年の動機は、自分の仕事の失敗や運が悪いのは心霊術に掛けられているのではないかと思い悩んでいたことであると述べています。高嶋易断が心霊術をしていると聞き、対決するしかないと5年前に象山に初訪問。面会し心霊術をしているのかを直接聞くも、していないと軽くあしらわれます。その後も、5年間で4回も大阪から上京し訪問し、今回5回目が最後の対決として出刃包丁を購入し挑んだとされます。
マスコミは「著名占い師・高嶋象山殺人事件」と銘打ち、象山は自分の運命を占うことができなかったと書き立て、易断界に批判など波紋が広がりました。
「甘栗太郎」の生みの親、北澤重蔵(きたざわ・しげぞう)は長野県出身。実業を志して最初に醸酒製造の経営をしますが失敗。困窮を極めましたが屈せず再び上京し、更に事業への志しをもって支那(中国)へ渡りました。当時中国の燕山山脈付近でしか取れなかった天津甘栗の味を知り、この甘栗を持ち帰り輸入することに着眼します。
1914年(大正3年)甘栗専業として販売を開始。現在の甘栗太郎本舗の元祖はここから始まりました。1918年に東京の池之端で世界万博が開かれた時、桃太郎にあやかり「甘栗太郎」と命名して実演販売を行い好評を博します。事業を拡大していた、1932年12月31日(昭和7年)に「大晦日猟銃殺人事件」が起こりました。
午後9時。本郷区湯島の野村引抜き注射針製作所の主人の長男は酒を飲んで帰宅したところ、父親と口論となり、女中が隣家の北澤重蔵に仲裁を依頼しました。その長男は2階から5連発の猟銃を手にして階下に降り、父に発砲して左足膝を撃ちました。次に自分の妻にも発砲し右足ふくらはぎへの負傷と膝下切断の重傷を負わせます。更に、従弟と仲裁に入っていた北澤重蔵にも発砲し二人を殺害。北澤重蔵は腰から腹にかけて弾を貫通させられ即死でした。駆けつけた警察に長男はその場で取り押さえられ逮捕されました。
高嶋象山 埋葬場所: 4区1種55側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takashima_sho.html
北澤重蔵 埋葬場所: 6区1種12側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kitazawa_shi.html
*墓石には「北澤家之墓」。左側に墓誌がある。戒名は仁侠院梃身重義居士。墓所内の入口左側に道路に面して「北澤重蔵氏碑」が建つ。
【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。
『 メッタ刺しの理由は心霊術に…【高嶋象山殺人事件・大晦日猟銃殺人事件】高嶋象山×北澤重蔵 へのコメント 3件 』
何となく久々に.このお題を思い出した(´Д`⌚️)
人は生きている間は長い年月を感じつつも、お墓に入る前の時は、時はあっという間に感じるらしい。
誰しもが限られた時間の中で人生目標を築き、紆余曲折しながら生きていくのである…(´・ω・`☁️)
ミャンマー南西沖合いに、北センチネル島という小島がある。
そこには、文明から隔絶された黒褐色の部族がいる。
何となくアフリカ系だが、遺伝的に日本人とつながりがあると云われている。男に生まれるか、女に生まれるか、北センチネル島のアンダマン人に生まれるか、もしくは他の生き物に生まれ変わるかは、確率の上に成り立っているが、亡くなった方々と同じ様に一つの歴史をつくって受け継がれてゆくのである。
昔から最近もニュースで、自殺される方々がいる。
病気を苦にされるのはやむを得ないが、我が日本は多くの選択の自由がある。
部族だけでなく、他の国々の中には、選択する自由が限られた中で生活する他ない…。
後悔しない人生を送れずに心半ばで息絶える人…後悔しない人生を送る人…途中でサジを投げる者迄様々いる。
毎日を全力で生きている者…私みたいに数年間を亀みたいにじっとしながらも、転機かな…と思ったら、そこにだけ集中するタイプもいる。
ま、その為に他の事で集中できない分野で、色々と地獄の苦労もしましたけどね…(・_・。☔️)
コメントありがとうございます。励みになります。これからもよろしくお願いします。
筆者の小村さん、こんにちは(´▽`⛱️)
永眠された著名人の方々の生き方に私も興味があり、参考になります。
私も、他のお題(アニメや映画や出来事や流行含む)で、他にも永眠された方々の生き方を書いています。
これからもお仕事頑張って下さい _〆(゚▽゚*)