当時のマスコミを騒がし後に映画化も!?【心中を選んだ人たち① 坂田山心中事件】 調所五郎×湯山八重子

【心中を選んだ人たち① 坂田山心中事件】 調所五郎×湯山八重子

 今の時代では考えられないほど、男女の恋愛事情、身分の問題、立場の問題、様々な問題によって苦しみ、「心中」を選んでしまった人たちが多磨霊園には眠ります。今回は華族家系の学生が引き起こしてしまったプラトニックな愛を貫いた「坂田山心中事件」の調所五郎と湯山八重子のお話しです。

 調所五郎(ずしょ・ごろう)は、東京出身。男爵の調所廣丈(ちょうしょ・ひろたけ)の5男で銀行家の調所定の長男として生まれます。湯山八重子は静岡県駿東郡下(裾野)の素封家の3女として生まれました。

1929年(昭和4年)八重子が東京の頌栄高女に通っていた時、慶應義塾大学経済学部に通っていた五郎と出会い、恋愛関係になり交際が始まりました。しかし、八重子は胸の病気で高女を中退し実家に戻ることになり、遠距離となります。五郎は八重子との結婚を本気で考え、八重子の両親に挨拶をするも反対されます。1932年5月8日(昭和9年)二人が出した答えは、神奈川県大磯の坂田山で心中自殺を遂げることでした。五郎は享年24歳。八重子は享年22歳。

 心中翌日、松露狩りをしていた地元の若者が二人の遺体を発見します。五郎は学生服姿に角帽、八重子は藤色の和服姿で裾が乱れぬよう膝元を赤い紐で結んでいました。遺体の側にあった瓶は写真現像液を作るときに用いる猛毒の昇汞水(しょうこうすい・塩化第二水銀とも)があり、服毒自殺とされました。夕刻、二人は身元不明の無縁仏として大磯町宝善寺に仮埋葬されます。10日朝、仮埋葬された塚が掘り起こされ、八重子の遺体が消え、更に二人の身元が判明し大騒動となりました。男は男爵家の子息、女は大富豪の令嬢であったからです。

 11日、八重子の遺体は宝善寺から100mほど離れた大磯海岸の船小屋の砂の中から全裸で発見されました。良家の心中、死体盗難、全裸での発見の猟奇的な内容に、マスコミは連日大磯を訪れ報道し世間の関心を生むことになります。二人が心中した山を含む、大磯駅周辺は当時三菱財閥の岩崎家所有地であり、その雑木林の山は地元では八郎山と呼ばれていましたが、マスコミは悲恋に合わないという理由もあり、近くの地名から勝手に「坂田山」と命名し、一連の事件は『坂田山心中事件』として全国に報道されました。

 この事件の渦中、五・一五事件が発生。取材規制がひかれたこともあり、また暗い政治世情を覆すように、報道各誌は坂田山心中事件をクローズアップし、単なる身勝手な二人の心中から、貞操を守った二人の純愛物語へと取り上げ方が代わっていきました。18日、遺体盗掘犯人が逮捕され、事件は落着します。

 しかしブームは終わりません。事件わずか1ヶ月後に、松竹が坂田山心中事件をモデルにした「天国に結ぶ恋」の映画を配給し空前の大ヒット。映画と共に主題歌「悲恋大磯哀歌」は結ばれない恋を美しく歌い上げ大ヒットとなり、歌詞「二人の恋は清かった神様だけがご存じよ」というフレーズは流行語にもなりました。なお、映画上映6月から12月の6ヶ月の間に、20組もの心中事件が発生したとされています。

多磨霊園にある調所五郎と湯山八重子さんの墓石

 現世では結ばれることがなかった調所五郎と湯山八重子ですが、多磨霊園にある墓石には「調所五郎 / 妻 八重子 之墓」と、八重子を「妻」と付けて刻まれています。多くの心中したカップルは、戸籍が異なるため死後別々に各々の実家の墓に埋葬されるケースがほとんどですが、調所家と湯山家の双方了承の基に建之されたのであれば、何とも皮肉な話でもあります。

調所五郎と八重子 埋葬場所: 12区1種18側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/zusho_go.html

多磨霊園にある調所五郎と湯山八重子さんの墓石裏面

*裏面には「昭和七年五月八日永眠 五郎 二十四歳 / 八重子 二十二歳」と刻みます。 建之者は刻まれていない。

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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