
東福寺の年間参拝者の約半数40万人が訪れるという、東福寺の紅葉シーズン。紅葉の最盛期を外し、平日に訪れたこともあり、覚悟していた混雑を避けることができ、その魅力を堪能しました。
紅葉の絶景として名い東福寺の渓谷・洗玉澗
東福寺は、イロハモミジやトウカエデなど、艶やかな紅葉を魅せる樹々が約2000本、また散り紅葉も美しい名所です。
通天橋と臥雲橋(がうんきょう)という2つの橋廊(はしろう)にある渓谷・洗玉澗(せんぎょくかん)は、紅葉の絶景として名高く、渓谷を赤や黄に染め上げ、「紅葉の雲海」を見ることができました。
東福寺にはもみじの見所、通天橋と並んで、もう一つ名物があります。それは近代日本を代表する作庭家・重森三玲(しげもりみれい)さんの作庭した見事な庭園です。重森三玲さんの庭園は、日本古来の作庭方法に現代的な美しさを加え、「近代的」「モダンアート」などと評されます。「岩を縦に置く」という特徴があり、縦に置いた岩には仏様や神様が宿っているようで、より神秘的に見えます。
北側に行くと、有名な市松模様の苔庭があります。最初は苔と石が互い違いに並び、徐々に不規則に並んでいく庭園です。
泉涌寺・別院「雲龍院」の窓から絵画のような景色を見る
東福寺の賑わいを離れて、訪れたのが、真言宗泉涌寺(せんにゅうじ)派の総本山である「御寺 泉涌寺」です。1225年に中国から渡来した「楊貴妃観音像」(重要文化財指定)が安置されています。皇室との関連が強い御寺でもあります。
京都御所から移築されたという「御座所庭園」では、カエデが赤く染まり、雅な雰囲気を醸し出しています。
白砂と苔の枯山水庭園と緑溢れる池泉式庭園(ちせんしきていえん)の融合した上品な庭園です。
泉涌寺の別院である「雲龍院」で見るべきものの一つとして、蓮華の間の“色紙の窓(色紙の景色)”があります。赤い毛氈(もうせん)の向こうに4つの窓(色紙の窓)があり、それぞれ左から、椿の窓、灯籠の窓、紅葉の窓、松の窓と呼ばれていて4枚の雪見障子が並んでいます。風景を切り取ったような、ここでしか見ることができない光景です。
その他にも、
一幅の掛け軸のような、少し開けた障子から観るモミジや、
禅における悟りの境地を表していると言われる「悟りの窓」があります。
台風被害の醍醐寺で感じる自然災害と歴史遺産の圧倒的な“力強さ”
最後に訪れたのが、9月の台風21号で、境内の約2千本のスギやマツが倒れ甚大な被害を受けた醍醐寺です。
まず、豊臣秀吉が自ら設計したといわれる「三宝院庭園」を眺めました。一見被害はなさそうに見えますが 瓦や廊下の床が剥がれたり、庭園奥の大木が何本か倒れたそうです。
京都最古の建造物(951年完成)でもある国宝 五重塔と紅葉のコラボレーションを眺め、奥に進んでいくと、目に飛び込んできたのは、あまりにも衝撃的な光景でした。
深い木々に覆われていた静かな道は、すっかりその様相を変えていました。台風により多くの大木が被害にあい、やむなく伐採されていたのです。醍醐寺の自然災害惨禍の現状でした。華やかな醍醐寺の姿だけではなく、自然の力の前に痛々しいほど傷ついた現実を見ると、色々なことを考えさせられます。今ある京都の建物や庭園が、千年以上の長い歴史の中で、時には想像を絶する幾多の危機を乗り越えて、今日ここに在ることが、当たり前なことでないこと。もちろん、これは京都に限ったことではありませんが、今生きる私達の大きな力となっている歴史遺産と、そこに関わってきた多くの人々の尽力に改めて深い畏敬の念を抱かずにはいられません。
醍醐寺の東北の隅には、赤い紅葉に包まれた弁天池があり、朱塗りの弁天堂が池の水面にもみじと溶け込むように写り込んでいました。その姿に感じたのは、息を呑む“美しさ”だけではなく、圧倒的な“力強さ”と“存在感”でした。
N.Shimazaki
Webメディアのプランナー・ライター・カメラマン。国際ビジネスコンサルタント。
北海道大学卒業後、ワールドネットワークを持ったドイツ系企業に所属し、システム、マーケティング、サプライチェーン、イベント等のアジアのリージョナルヘッドとして、多国籍のメンバーとともに世界各地で数多くのプロジェクトを遂行。世界の文化に数多く触れているうちに、改めて「外からみた日本」の魅力を再認識。現在、日本の手仕事、芸能等の文化、自然、地方の独創的な活動を直接取材し、全国、世界へと発信している。