『女の執念 探していたモノを発見した人』 岡本敏子×石井花子

以前コラムで飛行機死亡事故に遭遇する確率は0.0009%=10万分の1未満との統計ということに触れましたが、年末ジャンボ宝くじの1等が当選する確率はどのくらいかわかりますか?
参考記事:『飛行機事故に遭遇してしまった人たち』-「もく星」号-大辻司郎×三鬼隆

0.000005%=2千万分の1という統計で、飛行機事故に遭う確率よりも更に低いです。宝くじは低い確率ではありますが、必ず誰かが当選します。では、なくなったモノが再び発見される確率はどうでしょうか・・・。現存しているか否かもわからない中、「執念」という思い一つで見つけ出した人たちを紹介します。まずは、長い間行方不明であった作品を発見した人、岡本敏子です。

岡本太郎作『午後の日』の墓碑の右隣に建つ墓誌はまるで夫婦のように並び二人だけの名前のみが刻まれています
*岡本太郎作『午後の日』の墓碑の右隣に建つ墓誌はまるで夫婦のように並び二人だけの名前のみが刻まれています。

 岡本敏子は千葉県出身。旧姓は平野。東京女子大学を卒業してすぐの頃、1948年(昭和23年)「芸術は爆発だ!」で著名な芸術家の岡本太郎と出会い、秘書として支えた後、養女になった人物です。岡本太郎が死去するまでの約50年間あらゆる制作に立会い共にした人生のパートナーでもありました。

 1968年から翌年にかけて岡本太郎がメキシコ人実業家の依頼を受け、メキシコにて完成させた『明日の神話』という作品があります。原爆の炸裂の瞬間をテーマに制作した巨大壁画(縦5.5メートル、横30メートル)であり、岡本太郎の絵画作品では最も大きい作品です。1970年の大阪万博のシンボルとなった『太陽の塔』とともに代表的作品といわれています。この作品はメキシコの新築ホテルのロビーを飾るために描かれたものでしたが、依頼主の経営状況の悪化に伴いホテルは開業されずに放置され、その後、壁画も取り外されて各地を転々とするうちに行方がわからなくなってしまっていたのです。岡本太郎死去後も敏子はこの作品を探していました。
 
 2003年(平成15年)メキシコシティ郊外の資材置き場にひっそりと保管されていた壁画を確認、発見に至ります。作品は長年にわたって劣悪な環境に置かれていたために大きなダメージを受けていましたが、『明日の神話 再生プロジェクト』を立ち上げ、日本に移送、修復した後、広く一般公開を目指したいと強い希望を打ち出しました。敏子は所有権の移転交渉を進め、2005年に合意。4月メキシコにて壁画を解体・梱包作業が開始され日本への移送準備が整い、5月28日に日本到着。しかしこの間、4月18日最後の大事業を終えた敏子は急逝されました。なおプロジェクトは仲間たちに引き継がれ、修復を完了させ、2006年日テレプラザにて展示公開された後、2008年より渋谷マークシティの連絡通路にて設置されています。

 もう一人執念で発見した人を紹介します。石井花子です。石井花子が探していたのはある人の亡骸です。亡骸の人物の名はドイツ人のリヒアルト・ゾルゲ。

リヒアルト・ゾルゲを愛した石井花子さん

ゾルゲは第二次世界大戦下の日本を舞台に起きたゾルゲ事件の首謀者であり、日独から得た機密情報を母の故国、旧ソ連に流し、「世界史を変えた男」といわれる世紀の二重スパイです。石井花子はゾルゲの愛人でした。ゾルゲはドイツや旧ソ連、さらには日本国内にまで親しい女性がいたことが戦後、明らかになる中で、花子は生涯独身を貫き、死ぬまで「夫」としてこだわり続けました。

墓所には「ゾルゲとその同志たち」の墓誌碑も建ちます
※墓所には「ゾルゲとその同志たち」の墓誌碑も建ちます。

 石井花子は岡山県倉敷市出身。地主の娘に生まれ看護学校を卒業後、22歳で上京。銀座のドイツ料理店でウエートレスをしている時にゾルゲと知り合います。1941年10月に逮捕されたゾルゲは、処刑されるまで3年間東京拘置所の独房に入れられていました。諜報団のリーダーとしてゾルゲは仲間たちの命を守りたいと考えます。特に守り抜こうとしたのは、献身的に尽くした石井花子ら女性たちだったといいます。司法取引に近い官憲との暗黙の了解があったとされ、そのため石井花子を含めた女性たちは、取り調べは受けたものの、誰一人として起訴されませんでした。1944年11月7日にゾルゲは絞首刑にされます。処刑は報道されず、石井花子も知らず、ドイツやソ連ですら遺体の引き取りを拒否。引き取り手のない死刑囚の遺体は、拘置所の慣例で、近くの雑司ヶ谷霊園に埋葬されることになっており、ゾルゲは運ばれ土葬されました。
 太平洋戦争の混乱時期の中、ゾルゲが処刑されたことを耳にした石井花子の大捜査が始まります。そして不明だった遺体を雑司が谷霊園から捜し出したのです。1949年に回想録「愛のすべてを―人間ゾルゲ」を出版し、その印税で墓石を整え多磨霊園に改葬しました。今は二人とも同じお墓で眠っています。

岡本敏子 埋葬場所: 16区 1種 17側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/okamoto_to.html

石井花子 埋葬場所: 埋葬場所: 17区 1種 21側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ishii_h.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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