影の立役者がアスリートたちの感動のドラマを…『1964年の東京オリンピック メダルなき勝者たち①』石坂泰三×梅澤治雄

 1964年(昭和39年)の東京オリンピック。オリンピックを開催するには資金が必要。この時、東京オリンピック資金財団会長を務めたのが、財界人の石坂泰三です。

 石坂泰三は東京出身。東京帝国大学を卒業し逓信省に入り、郵便貯金局書記に任官します。第一生命保険相互会社創立者で社長の矢野恒太に見込まれ、逓信省を退官し、秘書となり、支配人などを歴任し、ついに1938年(昭和13年)第一生命取締役社長に就任しました。
 戦後、吉田茂首相から大蔵大臣就任の打診をされましたが拒否して、倒産の危機にあった東京芝浦電気(東芝)の社長に就任、再建に成功させます。多くの会社の相談役や会長を務め、1956年から6期12年間にわたり経団連会長に就きました。高度経済成長と国際化に尽力。その時期のオリンピック開催です。

東京オリンピック資金財団会長を務めた財界人の石坂泰三さん

 1960年に組織委員会内に資金計画委員会が設置され、同年7月には総額88億円の資金計画が策定されました。しかしこの数字は修正が重ねられ、最終的には99億4,596万8,000円とされます。これは収入としては主に補助金(国庫補助金、東京都補助金など)と事業収入(入場料収入、プログラム収入、権利金収入など)、雑収入(利子収入ほか)などです。更に大きな資金として、石坂泰三が会長となって金策をした
資金財団からの寄付金でした。東京オリンピックの経費は、組織委員会経費の約99億4,600万と大会競技施設関係費の165億8,800万円との合計265億3,400万円とされています。

陸上自衛隊が協力をする組織「東京オリンピック支援集団」の団長に就任したのが梅澤治雄さん

 オリンピックが行われる際にその準備や競技中の支援も大切です。準備や大会が円滑に遂行するために陸上自衛隊が協力をする組織「東京オリンピック支援集団」が発足しました。その団長に就任したのが梅澤治雄でした。

 梅澤治雄は山形県出身。陸軍士官学校を卒業(44期)し、参謀本部員や陸軍大学校教官を務めた陸軍中佐。戦後は、1952年(昭和27年)警察予備隊(陸上自衛隊の前身)に入隊し、後に陸上自衛隊幹部候補生学校長を務めました。最終階級は陸将です。そして、1963年東京オリンピック支援集団長となりました。
東部方面総監部が置かれていた市ヶ谷駐屯地に臨時編成され、東京オリンピック会場の準備や各種競技の支援、オリンピックを開催中の競技会場や選手村などの警備を行いました。

 1964年の東京五輪の資金面が石坂泰三、準備と開催中の支援が梅澤治雄。影の立役者がいたからこそアスリートたちの感動のドラマが生まれたのです。

石坂泰三 :埋葬場所: 13区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ishizaka_ta.html
梅澤治雄 :埋葬場所: 23区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/umezawa_ha.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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