大相撲 平成30年十一月場所 TOP

平成三十年十一月場所

■優勝・三賞
優勝  貴景勝(13勝2敗)
殊勲賞 貴景勝
敢闘賞 貴景勝 阿武咲
技能賞 該当なし

■取り組み速報

十三日目 十四日目 千秋楽
十日目 十一日目 十二日目
七日目 中日 九日目
四日目 五日目 六日目
初日 二日目 三日目

■番付
【東】            【西】
・白鵬    [  横綱  ] 鶴竜
・稀勢の里  [  横綱  ]
・豪栄道   [  大関  ] 高安
・      [  大関  ] 栃ノ心
・御嶽海   [  関脇  ] 逸ノ城
・貴景勝   [  小結  ] 魁聖

・妙義龍   [ 前頭筆頭  ] 北勝富士
・栃煌山   [ 前頭二枚目 ] 玉鷲
・錦木    [ 前頭三枚目 ] 竜電
・正代    [ 前頭四枚目 ] 嘉風
・千代大龍  [ 前頭五枚目 ] 朝乃山
・貴ノ岩   [ 前頭六枚目 ] 輝
・阿炎    [ 前頭七枚目 ] 松鳳山
・勢     [ 前頭八枚目 ] 宝富士
・琴奨菊   [ 前頭九枚目 ] 大栄翔
・佐田の海  [ 前頭十枚目 ] 豊山
・千代の国  [前頭十一枚目] 隠岐の海
・碧山    [前頭十二枚目] 遠藤
・阿武咲   [前頭十三枚目] 隆の勝
・千代翔馬  [前頭十四枚目] 大翔丸
・大奄美   [前頭十五枚目] 明生
・荒鷲    [前頭十六枚目] 千代丸


externallinkコメント一覧

大相撲 平成30年十一月場所 TOP へのコメント 412件 』

  • 投稿者:KON

    小さな大横綱」 千代の富士貢
    ウルフ物語6

    小さな大横綱 ついに引退
    あと1回優勝すれば大鵬の優勝32回に並ぶところでの引退であり、世間では引退を惜しむ声が高かったが、
    当の千代の富士は塩澤実信さんのインタビューで
    『そりゃみんなそう言うし、本人もできればもう一度優勝して辞めたかったんだろうけど、しかし僕は、記録は31回も32回も一緒だ。記録にこだわっちゃいかん。辞める時が大事なんだ』と静かにコメントして、静かに土俵を去った。

    これは、およそ10年前に横綱昇進が決定し、喜びの絶頂にいた時に、師匠・九重親方=元北の富士から「ウルフよ、辞める時はスパッと潔く・綺麗に辞めような。チンタラチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ!」と、引き際の美学を説かれていた教訓を実践したのでした。
    そして、『最後に貴花田と当たってね、若い、強い芽が出てきたなと、そろそろ潮時だなと』というコメントを残しました。

    スパっと潔く身を引くという「横綱の引き際」についての伝統は、角聖・常陸山に育てられ出羽ノ海部屋から独立を認められた春日野(元横綱の栃木山)が愛弟子栃錦清隆の横綱昇進時に、栃錦に向かって、これと同様の言葉を語っている。
    そして、北の富士は、同じ出羽一門で栃錦と親しかった師匠の千代の山からこの話を聞かされていたという。
    それが、北の富士→千代の富士と伝授され続けていったということになります。
    出羽一門の横綱では、佐田の山も、驚くほどのタイミングでスパッと引退してしまいましたね。

    0
  • 投稿者:KON

    小さな大横綱」 千代の富士貢
    ウルフ物語5

    世代交代
    平成3年五月夏場所初日、昭和63年夏場所での初土俵からわずか3年で前頭筆頭まで番付を駆けあがってきた貴花田と、初土俵から21年、幕内在位13年余り、横綱在位59場所目の千代の富士が初日に激突。
    前の場所で優勝・準優勝だった北勝海・大乃国という両横綱が初日から休場となってしまった為、結び前で東張出横綱の旭富士が小結寺尾と、そして、結びでは前場所全休だった西張出横綱の千代の富士が前頭筆頭の貴花田という、全国の大相撲ファンが待ちに待った大一番が初日に組まれた割が組まれました。
    当日券を求めて前日(土曜)の朝から国技館の前に列が出来はじめ、翌日=初日当日の早朝には、当日券割り当て数(350枚)をはるかに上回る700人以上が列をつくり、国技館正面入り口から両国駅方向へ、そして、当時まだ、工事中の江戸東京博物館の脇へずうっとずうっと列が延びていました。
    さていよいよ、結びの一番、結果は 皆様ご存知の通り、“世紀の世代交代”となる一番として語り継がれていますが、
    私が注目していたのは、
    呼上げられた土俵に上がった両力士が時間いっぱいになるまでの所作の美しさでした。
    特に、東からあがった貴花田が赤房下へ、西から上がった横綱千代の富士が白房下へ最初の塩を取りにいった際に四股を踏む。
    最も華麗な四股と言われていた千代の富士の高く綺麗に上がった脚、それに負けずに貴花田の四股も、脚はさらに高く跳ね上がり、頂点で1秒弱の静止、軸足は微動だにしない。
    カメラが引くと行司さんをセンターに、千代と貴が 左右対称、シンメトリーになっていました。これは、東西の舛席や向こう正面のお席からは見えない。1
    階の正面7-8列目以降の舛席か二階の正面席の前の方、もしくはテレビ中継、これでしか見えない奇跡の瞬間でした。
    そして、この一度きりの対戦で、千代の富士は、翌々日の夜に引退してしまったわけですから、まさしく二度と見ることのできない 奇跡の一瞬 だったのです。

    勝負が終わって支度部屋で相撲番記者たちに囲まれた千代の富士が、記者のインタビューで『貴花田に 二重丸!いや、三重丸って言っておいて』って言っていたのが、本当に格好良かったですねえ。
    闘った相手、それが負けた相手でも、敬意を表す
    という大相撲の礼儀の根幹、をはっきり感じられた発言でした。

    0
  • 投稿者:匿名

    旭富士伝説をしてほしいの間違いじゃないのか!!
    嫌みな事ばかりでミッキー追い出したのに。

    1+
  • 投稿者:KON

    「小さな大横綱」 千代の富士貢
    ウルフ物語4
    九州場所でやたら強かった道産子横綱千代の富士
    1981昭和56年から1988昭和63年までの8連覇は、(戦後)同一場所連続優勝の最多記録。
    ちなみに九州場所での連続優勝記録の2位は、千代の富士の半分の4連覇を白鵬が達成、次いで大鵬と朝青龍の3連覇。(大鵬は3連覇を二度)。
    意外や意外、北の湖と貴乃花は、九州では一度しか優勝していない。

    なお、千代の富士は、九州で8年連続を含む9度優勝、名古屋場所で6度優勝、大阪場所で3度、ということで31度の優勝のうち半数以上の18度を地方場所で挙げている。 東京では、初場所5度、夏場所4度、秋場所4度。
    ただ、秋場所では、4度の優勝のうち、3度が全勝優勝。九州での9度の優勝のうち全勝は1度だけでした。
    そうみると、道産子なのに九州で強い ということではなく、夏を過ぎて涼しくなってからのほうが 成績がいいということでしょう。唯一、東京のジメジメした湿気を感じる夏場所だけは全勝優勝がありませんでせいた。

    昭和の大相撲、最後の一番は、千代の富士の大連勝ストップ
    昭和63年九州場所千秋楽、ここまで53連勝中の千代の富士。 千秋楽の大乃国戦を楽勝で勝って、
    大乃国に54連勝を阻まれた時
    「明日の取り組み誰だっけ?あっ 大乃国ね!楽勝 楽勝。。。っと言って、相撲番記者たちと博多の街で飲み潰れるまで どんちゃん騒ぎして、舐めきっていましたからね。」
    「大乃国は夜中に稽古していた? それならそうと誰か教えてくれてたらよかったのに・・・。君らの同僚がそれを取材したんでしょ?  人が悪いよなあ・・・ まあ、しょうがないか」と
    諦めきれない千代の富士でした。

    4+
  • 投稿者:KON

    「小さな大横綱」 千代の富士貢
    ウルフ物語3
    土俵入りの華麗さ
    横綱土俵入りで足を降ろす際に、栃若・柏鵬・輪湖と大横綱が力強く地面を踏み降ろしていた土俵入りに見慣れた私たちは、
    千代の富士の土俵入りの際の高く上がって伸びた脚、その太もも・脹脛(ふくらはぎ)に くっきり浮かぶ筋肉に、老若男女わけ隔てなく酔いしれた。その頃、晩年に差し掛かった北の湖やまだ若い横綱大乃国の脚がまったく上がらないことから
    余計に、お千代さんの四股が華麗に見えました。

    土俵入りは雲龍型を選択。盛り上がった筋肉、高く上がる足。姿勢を一切崩さないバランス力。「史上最も美しく格好いい土俵入り」と言われている。

    そもそも、地を踏み鎮めるという宗教的意味をもつ四股踏みは、ドスンドスンと踏み降ろす形が一般的で、「角聖」常陸山も
    「大正の雷電」こと「四十五日」の太刀山も、「角清」栃木山も、皆このドスンドスン型でした。
    昭和の初期に現れた「ボロ錦」こと玉錦三右衛門が、足裏が観客から見えるほど足を高く上げて土俵入りを行なった。
    三場所連続優勝したのに横綱免許を貰えなかった玉錦は、
     あらゆる面で革新的行動をとっていたので、この土俵入りの足の上げ方もその一つかもしれません。

     後に、玉錦の孫弟子となる玉の海正洋が師匠二所ノ関(元玉乃海)から教わって“玉錦型”の土俵入りをするようになり、
    横綱ではないですが、プリンス貴ノ花もこの「玉錦型」を 実践していました。
    あの足の上げ方は、誰でも真似できるものではありません。

    よほど足腰そして体幹がしっかりしてないと、ぐらついて、軸足のほうに倒れてしまいます。

    そして、千代の富士、貴乃花、 最近では阿炎が 高々と足をあげた四股を踏んでいますね。

    7+
  • 投稿者:はっくん

    待ってました!
    KONさん 私の要望を聞いてくださってありがとうございます!
    今後のウルフ物語、楽しみにしています。

    8+
  • 投稿者:KON

    「小さな大横綱」 千代の富士貢
    ウルフ物語2

    横綱時代の体型
    現役時代の体のデータ  183cm 126kg なんと体脂肪率10.3%
    脂肪が12.6キログラム  つまり 徐脂肪体重が、113.4キログラム

    立ち合いの踏み込み そのスピード
    陸上男子100m世界記録保持者のウサイン・ボルト氏(ジャマイカ)が現役時代に毎秒4.01メートルだった。
    これに対し、というかボルトよりもだいぶ以前に、千代の富士は、当時相撲界ではダントツの毎秒3.9メートルだった。
    この出足で、相手の前みつをガッチリと掴んでいたのですね。

    信じ難いトレーニング
    無理な投げを連発していた若い頃、肩が外れてしまう脱臼癖で何度も休場、番付を昇降していましたが、親方の九重(もちろん北の富士さんのこと)が、肩の周りに筋肉で鎧をつけたらどうか?と指導。貢もこれを素直に受け入れて、過酷なトレーニングを開始しました。
    「千代の富士」のトレーニング内容(1回分)
    ・腕立て伏せ200回・・これは、200回を1セットで、1日に 3セット、5セットと増やしていった。
    ・1ヶ20キロのダンベルを両手に持って、左右交互に 肩から頭上への上下運動 20回 
    これが、1秒間に1回ペース という 物凄いスピードで ダンベルを上下させていた。
    ・振り上げ 20回

    そのため、自宅の8畳の畳は4ヶ月に一度は畳替えしないといけないほどの擦り切れようだった。

    9+
  • 投稿者:KON

    「小さな大横綱」 千代の富士貢

    ウルフ物語1
    脱臼に悩まされた日々
    元々、骨太だった千代の富士貢。 運動神経抜群で、特に陸上競技では走り高跳び・三段跳びで道内の大会で優勝するほどのスリムな身体だった。
    そして、両方の肩の骨の噛み合わせが浅い ということが原因で、脱臼が多かった。
    それでも力任せの投げ技が祟って(特に左肩の)脱臼をし続けた。昭和58年には右肩も脱臼。

    テレビ画面に映ったことから特に印象的だったのは、平成元年 春場所 全勝で迎えた十四日目に、横綱対決で大乃国と対戦。
    この当時 千代の富士は122kg、方や大乃国は205kg。 激しくぶつかった後、四つ相撲の攻防から、右四つの状態で、左上手から、右下手からと巨漢大乃国を揺さぶった。 強烈な投げをなんとか堪える大乃国を、最後は左上手投げで向こう正面に投げ倒しました。  しかし、起き上がる際に 左腕を右手で支え 苦悶の表情の千代の富士。  左腕を右で支えながら辛そうな表情で花道を下がる。 人の不幸は砂糖水 とばかり、苦悶の表情を撮ろうと相撲番記者がカメラを構えて花道を歩く千代の富士の行く手に殺到したため、 カメラマンが邪魔で前に進めな千代の富士。
    ようやく支度部屋に戻ると、緊急で呼ばれた(当時の)伊勢が濱親方=元大関清国が、外れた肩を入れる為に駆けつけ、しゃがんでいる千代の富士の背後から 膝立ちして親方自身の左ひざを立て、そのひざに千代の富士の左腕を乗せて安定させておいて、両腕を使って挟むように、一気に肩を入れようとしたが、一度では入らず、再度同じ体勢にして、『はい、もう一回、ちょっと辛抱して下さい』 と 患者の千代の富士にソフトに声をかけ、周囲にいた世話人に『ちょっとここ押さえていてください』 と 千代の左手の先を固定させ、左肩を外からはさむように持つと中腰姿勢からぐっと下方向へ力を込めた。
    『あいたー』 とも 『あいがー』 とも聞こえた呻き声を上げた千代の富士だったが、 その間わずか3秒弱。 『はい、入った。よし!』 との伊勢ヶ濱さんの声に安心したのか、千代の富士は背中を丸めて俯いたまま、声を絞り出すように伊勢が濱親方に御礼を述べていました。 かまわず、伊勢ヶ濱さんは
    心配そうに取り巻くだけの付け人たちに「おい、湿布 湿布』と、すぐさま肩を冷やすように指示していました。

    翌日の千秋楽を休場(千秋楽の大関旭富士戦を不戦敗)しましたが、大乃国戦で優勝は決定していたので、表彰式では左手首にテープを巻いて腹に固定して登場、右手のみで賜杯を手にした千代の富士でした。

    この時の伊勢ヶ濱さんの処置が素晴らしく適確・迅速だったおかげで、翌場所こそ全休した千代の富士は 名古屋場所に28度目の優勝、さらに翌秋場所では全勝優勝を果たし、九州場所では3敗を喫して準優勝でしたが、年が明けた平成2年初場所で見事優勝し、優勝回数を30回の大台に乗せました。

    ・・・柔道経験者などに多く存在するという脱臼治しの応急措置ですが、若き日に 脱臼癖を克服する為に“筋肉の鎧”をまとった肩になった千代の富士だった為、逆に、これが1度外れると、嵌めることが大変難しい  という問題を起こすことになり、筋肉隆々の横綱千代の富士の脱臼を治せる人物は
     伊勢ヶ濱さん=元大関清國だけだったとのこと。
    今、この時の 伊勢が濱さん のように、すぐに脱臼を処置できる柔道経験者?がいるのでしょうか?

    現在の協会執行部・理事・副理事と高給取りがたくさんいますが、こういった役に立つ技術がある親方ということでは、なかなか名前が挙がりませんねえ。

    9+
  • 投稿者:KON

    北の富士さん語録アンコールシリーズ 60
    NHK中継での中入り後の特集や特番用に収録した 「北の富士 語る」 にて

    栃ノ心の大関昇進の話になり
    『元々(怪力という意味で)力はあったけど、本当に力をつけてきたよね』
    アナウンサーが「14勝、10勝、13勝で堂々の 37勝ということですが、北の富士さんの大関昇進のときは・・・・・・」
    と、  画面に、北の富士大関昇進直前3場所、8勝―8勝―10勝 合計28勝 と出て、

    北の富士さんは、腕を組んで、“またその話すんの?”という呆れた顔で
    『ふふふ、何回も訊かれて もう嫌になってるけどね、28勝ですよ。』
    アナウンサー「28勝だと、今だったら・・?」
    北の富士さん『話にならんですよ、28勝あたりじゃ。まあ、僕の場合は相撲の内容が良かったから、この時。』
    アナウンサー「・・・・・」
    北の富士さん 『大鵬さんといい相撲、大相撲を取ったから、それが評価されたんだろうね』

    珍しく若かりし頃の自分の相撲内容を自画自賛する北の冨士さんでした。

    北の富士さんの言う 大鵬戦での熱戦譜がこちら
     昭和41年名古屋場所四日目 ここまで三戦全勝同士の東正横綱大鵬と東関脇北の冨士。
    西土俵から上がった北の冨士は両差しを狙って突っ込む。大鵬は鋭く踏み込んで突き放し、攻め込もうとした。 北の冨士は猛然突っ張り、さらに喉輪で反撃を見せたが、まともに叩いたので大鵬の左差しを許した。 北の冨士は右上手を取って上手投げ、大鵬は掬い投げを打ち、左切り返しから右手で北の富士に右足に手を掛けての小股掬いまで見せる。 北の冨士はこれをこらえる。さらに大鵬は頭もつけた。館内からはどよめきの声と大きな拍手が送られる。北の冨士は右腕が伸び切った状態で攻め手がなく、苦しくなって強引に無理な外掛けにいったが、大鵬は東土俵に左へ切り返してやっと勝った。
    北の冨士は西の支度部屋に戻るなり「何だか、俺、横綱になったような気分だよ」と笑顔満面。あれほどの大横綱に足まで取らせ、それをも残して闘ったとあれば無理もない感想だったのでしょう。

    <この頃の北の富士さんの「富」は「冨」でした。三段目で番付が停滞していたころに「竹沢」から「北の冨士」に改名、大関10場所目から「富士」の字を ワ冠の「北の冨士」からウ冠の「北の富士」に改名して、しばらく後に、横綱昇進を果たしています。

    10+
  • 投稿者:KON

    北の富士さん語録アンコールシリーズ59
    人間 北の富士さん もらい泣き
    2018平成30年初場所千秋楽
    栃ノ心が初優勝。表彰式での優勝インタビーの最中から、誰が発しているのか「shu・・」という鼻をかむ音が聞こえてました。
    インタビューの後、表彰式はまだまだ続いているのですが、放送席からアナウンサーが

    『shu・・shu・・まあ、なんていうか、初々しくてね、shu・・shu・・当然初優勝でしょうから、shu・・こっちまで嬉しく shu・・なっちゃうね・・shu・・shu・・』
    鼻が垂れちゃっているでしょう、声もこもってきちゃったので、すかさずアナウンサーさんが
    「向こう正面の舞の海さん、栃ノ心の初優勝、いかがでしょうか?」と振りました。

    そこで、空気を読んだ舞の海さんが、いつもより長めにコメントしたのですが、その間にも、shu・・shu・・と鼻をかむ音が正面放送席のマイクに拾われていました。

    北の富士さん、この5-6年、涙もろくなりました。 特に、今回は、怪我して番付が奈落の底まで落ちて、這い上がってきての幕内優勝に、感動しきりの北の富士さんでした。

    だいぶ以前、名大関プリンス貴ノ花が引退する日、司会の杉山邦博アナウンサーが涙で喋れなくなり、必死に喋ろうとするのですが、出るのは涙と鼻水と嗚咽のみ、 そこで解説の玉の海梅吉さんが、ひとりで、そのあとの中継を説明していました。 
    その時を思い出すような、アナウンサーと舞の海さんの連係でした。

    13+
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