
西日本豪雨で被害を受けた広島の地で開催「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」
地震、暴風雨と度重なる自然災害が続いています。人間は、自然の恩恵を受けるなら、その負の面である災害も、ある意味受け入れなくてはならない、ということなのでしょうか。
東日本大震災のあと、被災地では、流された衣装や太鼓を可能な限り探し出し、「しし踊り」等の民俗芸能が、早い時期に復興したそうです。東北の民俗芸能の多くが、鎮魂供養というテーマを抱えており、日本文化の中で、芸能や巡礼が、厳しい状況において、精神的に多くの人々の心を支えてきた歴史があります。自然とともに生きていく日本が、災害からどのように復興するのか、その役割として、心を支える芸能の力は大きいのかもしれません。
野村萬斎さんが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック競技大会の開閉会式の総合統括に就任された際、「鎮魂」と「再生」が芸能の重要な部分であり、その精神を復興五輪において生かすことを話されていました。
西日本豪雨で大きな被害を受けた広島の地で、また自然災害からの度重なる再生により蘇ってきた広島県廿日市市にある嚴島神社の能舞台で、野村万作さん、野村萬斎さんの「平清盛公生誕900年記念 嚴島神社奉納『宮島狂言』」(主催:SAP社)が行われることに、大きな意義を感じます。
接近する大型台風により、2日間の公演は、残念ながら2018年9月29日のみの公演となりましたが、雨が降りしきる中、多くの観客が海を渡り、嚴島神社を訪れました。
凄みの中に気品と美しさが見える野村万作さんの「川上」
雨の雫が見える能舞台に、野村万作さんが、ゆっくり杖を突きながら歩を進め登場されました。万作さんが、海外でもたびたび上演し好評を得るなど、力を入れられている「川上」の独特の世界に観客をいざないます。
吉野の里に住む盲目の男が、霊験あらたかな川上の地蔵に参籠(さんろう)した甲斐があって、目が開きます。しかし、引き替えに悪縁の妻を離別せよとのお告げを受けます。妻は腹を立てて地蔵をののしり、別れないと言い張ります。一般的な「笑いの芸術」としての狂言のイメージとは趣を異にした、夫婦の絆、緊迫に満ちた人間と運命の対峙を描いていきます。
87歳とは思えない力強い声、心の動きにより巧みに変化する顔の表情、写実的な情景を表現する所作に、凄みの中に気品と何とも言えない美しさがあります。
目が見えるようになって新たな人生に向かう気持ちと、別れずに連れ添っていきたいと懇願する妻への深い愛情。何を思い、何を感じるかは、観る人の状況や心理状態により、響く部分や解釈は違い、現代の世相にもつながる究極の選択です。緊迫する展開や揺れる心情の中にも、一貫して感じる包み込まれるような安心感はどこからくるのでしょうか。まさに解脱の境地に入ったような万作さんの揺るぐことのない表現に全てを委ね、自分自身の心の動きが映し出されます。
物語にくぎ付けになって五感が刺激される!?野村萬斎さんの「彦市ばなし」
「川上」の余韻が冷めぬ舞台に、六世野村万蔵さん、二世野村万作さん、二人の人間国宝を祖父、父にもち、生まれながらにして継承する役目を担った野村萬斎さんが、釣り竿を持って登場します。
背負った大きな宿命から逃げずに生きてきた覚悟は、その歩き方、真っすぐに伸びた背筋、そして舞台の空気を変える圧倒的な存在感にあらわれます。
狂言師としての活躍はもちろん、現代劇や映画、ドラマの話題作に次々と出演し、圧倒する声と所作で見る者を惹き付ける萬斎さんですが、特にシェイクスピア作品の取り組みは日本のみならず海外にも影響を与え、また海外に活躍の場を広げている多くの日本人にも力を与えているのではないでしょうか。私自身、ビジネスの現場で、東と西の文化や方法論の違いに戸惑いを感じていた時、どのビジネス書よりも、決してぶれない中心軸を置く、萬斎さんの作品や言葉に触れることにより、日本人の感性やアイデンティテイに対する誇りを再起しました。狂言そのものを海外で展開するだけではなく、世界共通言語ともいえるシェイクスピア作品を、狂言の手法や技術で表現することにより、“古典を現代に生かす”という独自のスタンスで解釈し、より狂言そのものの強さを発信しています。私たちは、現代劇や映画、またシェイクスピア作品に感動し、萬斎さんの軸足にある狂言に大きな興味を持ち、その魅力に取りつかれていきます。
今回の嚴島神社を舞台にした演目は、熊本県の昔話をもとに木下順二原作の民話劇「彦市ばなし」です。天狗の子から隠れ蓑をだまし取ったウソつきの名人、彦市。父親の大天狗からの仕返しを恐れて、今度はお城の殿様から天狗の面をせしめ、さらに河童を釣ってみせるからと大天狗の好きな鯨の肉を手に入れました。これで万事順調に進むはずが・・・。
雨音の中においても、萬斎さんの声は力強く響き、何とも憎むことができないウソつき名人の彦市の動きにくぎ付けになり、子天狗、殿様と展開するやり取りに、五感が刺激されます。もともと持っている三人の背景は違うはずなのに、狂言の喜劇の視点から演じられると、全く平等に映り、3人がアーティスティックスイミングのように揃って泳ぎ去っていく様には、心温かくなるものがありました。
素手の芸とも呼ばれる狂言。場面設定や人物像を、演者の声色やボディランゲージから想像します。見る側も、受動ではなく、どれだけ能動的になるかにより、楽しみ方も違ってくるでしょう。萬斎さんは、2020年東京五輪という舞台の上で、益々世界の人々をつなぐ大きな役割を担います。古典と現代をつなぎ、人と自然をつなぎ、“笑顔”を創り出すプロフェッショナル、狂言師 野村萬斎さんの手によって、「和の伝統芸術」が、時代や国を越えることが、また証明されるでしょう。
N. Shimazaki
Webメディアのプランナー・ライター・カメラマン。国際ビジネスコンサルタント。
北海道大学卒業後、ワールドネットワークを持ったドイツ系企業に所属し、システム、マーケティング、サプライチェーン、イベント等のアジアのリージョナルヘッドとして、多国籍のメンバーとともに世界各地で数多くのプロジェクトを遂行。世界の文化に数多く触れているうちに、改めて「外からみた日本」の魅力を再認識。現在、日本の手仕事、芸能等の文化、自然、地方の独創的な活動を直接取材し、全国、世界へと発信している。