「大空に挑んだ男たち その3」 塚越賢爾×上條勉

大空に挑み、世界中を驚かす大記録を生んだ日本人はまだいます。亜欧連絡飛行最短時間記録樹立で、航空機関士兼無線通信士の塚越賢爾と一等飛行機操縦士の飯沼正明とのペアです。

塚越賢爾は日本自動車学校航空科を卒業後、第一航空学校にて三等操縦士の免状を取得し、様々な航空学校にて勉強をして、一等航空機関士・二等操縦士・航空通信士・二等航空士の免許も併せて所持する博識多芸でした。1927年東京朝日新聞社に入社し航空部員となります。

朝日新聞社は1937年5月12日ロンドンで行われるジョージ6世の戴冠式奉祝の名のもとに、亜欧連絡飛行を計画します。博識であった38歳の塚越と、朝日新聞航空部員の若手のホープ26歳の飯沼を抜擢し、世紀の大飛行を敢行。飛行機は陸軍が開発した高速連絡機「キ15」。一般公募で飛行機の名は「神風号」と命名されました。

当時はフランスが東京-パリ間を100時間内での飛行に対して懸賞を出していました。日本とヨーロッパを結ぶ定期航空路がなかったことと、東京からヨーロッパ方面は逆風であるため困難であり、世界中のパイロットが挑んでは失敗していました。

1937年4月6日午前2時12分に立川飛行場を出発。台北・ハノイ・ビエンチャン・カルカッタ・カラチ・バスラ・バグダッド・アテネ・ローマ・パリを中継して、ロンドンのクロイドン空港に到着。15,357kmの距離を実飛行時間51時間19分23秒。途中の給油や整備の時間を入れた全所要時間は94時間17分56秒の大記録達成でした。それまでの記録は、1928年フランス人のコストとルブレによる165時間53分であったので、当時としては驚異的な速度であり、亜欧連絡飛行で塚越と飯沼は最短時間記録を樹立しました。フランス航空省の課題もクリアし、前人未到の記録として歴史に刻まれたのです。しかも、2人はイギリス到着時は航空服ではなく、スーツ姿で到着し、出迎えた人々を瞠目させたと伝えられています。この大記録は世界各国のメディアに取り上げられました。2人は国賓級の英雄として遇せられ、フランス政府はレジオンドヌール勲章を贈っています。なお、2人は戴冠式の記録映画を積んで、14日にロンドンを出発、21日に大阪の城東練兵場を経て羽田空港に到着しました。戴冠式の映画は朝日の独占で全国上映されたため、しっかり仕事もこなしました。

塚越らの大記録を影で支えた人物たちもいます。その一人が「神風号」の強度計算を行い、飛行機の性能を任された航空機技術者の上條勉です。

前人未到の記録獲得を支えた上條勉さん

上條勉は長野県松本出身。1929年(昭和4年)米国・イリノイ大学機械工学科で熱力学、機構学、熱原動機を学び、航空工学を学ぶため翌年、ミシガン大学航空工学科に転校。航空力学、プロペラ理論、風洞実験、機体構造学、航空機及びプロペラの設計、理論空気力学を学びます。1年で卒業して航空学士を得ました。1931年にはニューヨーク大学のカレッジの航空工学科に入学し、航空学会で著名であったクレーミン教授に学び、更に1933年マサチューセッツ工科大学大学院の航空学科に入り、理論空気力学をスミス教授から学びます。1934年同大学より日本人初の航空学修士の学位を得ました。帰国後は三菱重工名古屋航空機製作所機体部設計課技師となり、強度計算や性能計算、荷圧試験を担当して、鉛弾を翼の裏側に積み、規定された弾力試験、破壊試験等を行いました。

大空に挑んだ男たちの礎が今に繋がっていますね。そんな空のレジェンドたちが多磨霊園に眠ります。

塚越賢爾 :21区 2種 34側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tsukagoshi_ke.html

上條 勉 :埋葬場所: 17区 1種 27側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kamijou_tsu.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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