「大空に挑んだ男たち その2」 横山八男×和田小六

1920年代空軍を保有する国はイギリスのみであり、1930年代半ばまでにイタリア、ソビエト、フランス、ドイツが独立した空軍を持つに至ります。 一方、日本は陸軍と海軍内に各々の航空隊を持つに留まっており、空軍独立が実現しない中、1936年(昭和11年)に航空兵団が創設されました。同年、横山八男は航空兵大尉となります。

国際飛行競技大会で世界から注目を集めた横山八男さん

横山八男は新潟県出身。陸軍士官学校を卒業(36期)し、飛行第64戦隊長や飛行第24戦隊長を歴任。ノモンハン事件にも参戦し、ニューギニアで戦死しました。最終階級は陸軍大佐。横山は戦争ではなく、国際飛行競技大会で世界から注目を集めた人物として名前を残しています。

1927年(昭和2年)にアメリカのリンドバーグがニューヨーク~パリ間を3時間29分無着陸飛行に成功します。以来、世界の航空界は、直線・周回での航続距離の世界記録樹立に躍起となり飛行が盛んに行われるようになりました。日本人も果敢に挑戦しています。横山もその一人です。

1938年2月20日から4日間、イタリア飛行協会主催の『北アフリカ-イタリア領リビア周回三千五百キロ国際飛行競技大会』に横山と加藤敏雄の二人が日本代表として初参加しました。日本人初の参加として列国人から多大な注目を惹いていましたが、代表機「北阿」の輸送が間に合わず、ドイツ製飛行機のハインケル機にて出場します。奮闘しましたが第三コースでプロペラに故障が生じ、惜しくもジアロ附近の砂漠に不時着棄権し結果を残せませんでした。

しかし、同年4月23日から29日間でドイツのベルリンにあるテンペルホーフ飛行場を出発し、ロードス島、バスラージョドプール、カルカッタ、バンコク、台北、東京の南方コースをとって二機雁行して無事に東京に到着しました。全航程15,340kmを実飛行時間56時間18分。途中の給油や整備の時間を入れた全所要時間は143時間43分の飛行記録をつくりました。

同じ時期に飛行機の設計者として記録樹立に挑んだ人物がいます。航空工学者の和田小六です。

2つの国際記録の記録を樹立した和田小六さん

和田小六は東京出身で東京大学工学部造船学科を卒業し、1923年(大正12年)母校で教授となります。本邦航空機構造学の権威であり「和田翼」の名を以って知られ、日本の航空工学の第一人者です。当初基礎的な研究を行う目的として設立された東京帝国大学航空研究所の所長に和田が就任すると、1933年末より実際に飛行機を製作する航研機計画が進められました。

設計は空気抵抗を徹底的に減らすために、繰織者は離着陸の時だけオープンコックピットから顔を出して機を操縦し、水平飛行中は座席を下げ、胴体内に入ってガラスのふたを閉めるという方式をとりました。そのため、この飛行機の水平飛行は全く前方が見えない設計でした。

改良を重ね、1938年5月13日木更津(千葉県)の飛行場を離陸し、木更津・銚子(千葉県)・太田(群馬県)・平塚(神奈川県)の四角コースを3日間にわたって飛行。11,651kmの周回航続距離を達成、1万kmコース平均速度時速1,862kmの国際記録を樹立しました。当時国際航空連盟が公認した世界記録には、速度、高度、周回距離、直線距離があり、航研機は3日間の無着陸周回航続距離世界記録と、10,000kmコース平均速度国際記録の2つの記録を樹立したのです。

横山八男 19区 1種 14側〔柳澤家〕
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/Y/yokoyama_ha.html
*墓石は洋型「柳澤家」。娘の弘子が柳澤家に嫁ぎ、墓所を継承している。

和田小六 :18区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/W/wada_ko.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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