
佐渡は、江戸時代に物資を運んだ北前船の係留地として栄えました。また、平安時代、流刑地でもあったため、京都の都文化が盛んに伝えられました。貴族文化、武家文化、そして町人文化と多種多様な文化が融合した伝統文化は、「日本の縮図」と言えるほど豊かで複雑だといいます。
そして、佐渡に暮らしている「鼓童」は、その創作活動に測り知れない影響を受けているといいます。離島のため人の行き来も多くなかったこともあり、言語や慣習などは昔のものが残りやすく、佐渡は「民俗・伝統文化の宝庫」と言われます。そんな佐渡島の歴史的遺産や伝統文化を、今までにない演出で体験できるのも「アース・セレブレーション」の魅力の一つです。
「アース・セレブレーション」で魅せる伝統芸能「鬼太鼓(おにだいこ/おんでこ)」
佐渡の文化に、「鬼太鼓(おにだいこ/おんでこ)」という太鼓のリズムに合わせて鬼が舞う伝統芸能があります。佐渡内で大きく5つの型がある独特の文化です。しかも、地元の人しか参加が許されてこなかった神事です。佐渡の人にとって「鬼太鼓は自分たちの文化」と意識するほど大切なもの。「アース・セレブレーション」では、ハーバーマーケットや小木商店街のストリートでも、「鬼太鼓」を見ることができました。
町人文化の薫り残る情緒豊かな小木の町では、みなと公園から歩いてすぐの「扇形」をした魅力的な商店街で、趣向を凝らした「おぎ扇の市」が、アース・セレブレーション特別編として開催されていました。大漁旗舞う商店街で、多くの観光客が、地元の人との交流を楽しんでいました。
佐渡で愛され、演じられ、守り抜かれてきた「能」
佐渡は、「能」が盛んな島としても有名です。佐渡で「能」が広まったのは江戸時代に入ってからになります。佐渡金山が発見されると、徳川幕府は佐渡を直轄地とし、大久保長安を初代の佐渡奉行に任じました。この大久保長安の祖父が能役者だったことから、広く佐渡の領民に「能」を奨励したと言われています。その結果、佐渡では農民が農作業中に「能」を口ずさむとも言われるほど、庶民の間に能が広まりました。
佐渡の能は人々の娯楽として愛されてきただけでなく、自らが演じ、守り抜いてきたということが、最大の特徴とも言えます。国内の1/3の能舞台が佐渡に集中しているとも言われ、佐渡には今でも30を超える能舞台が残っており、毎年4月から10月にかけて、島内各地の能舞台で「薪能」はじめ演能が多数開催されています。
今回、「アース・セレブレーション」のプレイベントとして「佐渡薪能公演」が行われました。津村禮次郎氏の古典能 「橋弁慶」、狂言 「仏師」、そして能、オペラ、バレエが融合した「創作ダンス」が、台風が去った月夜に繰り広げられました。
かがり火が照らし出す幽玄な世界の中、伝統的な古典能や狂言に陶酔し、場面は一気に展開され、トゥーランドットから「誰も寝てはならぬ」など力強いオペラが響き、バレエダンサーが優雅に舞い、古典の世界の中で東洋と西洋が交差する創作ダンスは非常に興味深いものでした。
佐渡の住民と共に歩んできた暮らしと芸能
北前船の寄港地として発展した小木海岸の入り江の宿根木の街並は、迷路のような路地に板壁の民家が密集し、国の重要伝統的建造物群保存地区となっています。そこには人々の暮らしと歴史が交差する静かな時間が流れています。
その中に、かつては芝居小屋であった「宿根木公会堂」で、佐渡市片野尾地区で伝承されている「片野尾歌舞伎」の公演がありました。
片野尾歌舞伎は旅回りの役者から伝えられ、明治時代に始まりました。1978年に住民が保存会を結成し、2年に1度の定期公演を行っているそうです。今回の演目は、明智光秀を題材にした「絵本太功記十段目 尼ケ崎庵室の場」。本能寺の変の後、光秀が誤って母親を刺し殺してしまうという悲哀に満ちた物語です。衣装、舞台道具など全て住民の手作りだそうで、風情ある建物の中、温かくも力強い熱演に、会場は拍手喝采に包まれました。
佐渡において、多種多様な芸能が人々の身近に存在し、人々の手によって受け継がれ、愛されてきたことを実感する貴重な時間を過ごすことができました。
撮影・文 / Shimazaki