
シマ唄が夜空に響く”奄美の宴”
鹿児島と沖縄の間に位置する奄美諸島は、「シマ唄」と呼ばれる独特の民謡を発展させてきた地域です。シマ唄のシマとは、奄美において「集落」や「生まれ育った故郷」を意味し、村の豊穣を願い神に捧げた歌を起源としています。島の人々の生活から生まれ、その思いを込めて歌い継がれてきたのがシマ唄です。多種多様な芸能が人々の身近に存在し、人々の手によって受け継がれ、愛されてきた佐渡の地で、同様に奄美の島で大切に受け継がれてきたシマ唄が夜空に響く“奄美の宴”が、日本海の波の音が聴こえ、綺麗な月明かりが照らすステージで静かに幕を開けました。
鼓童のメンバーが心地よい音色を奏でる中、最初に登場したのが、里アンナさんです。NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」では、メインテーマで印象に残る歌声を響かせ、ご自身も出演されています。奄美大島で生まれ育ち、3歳から祖父に島唄を習い、歌い始めたそうです。シルクドソレイユの公認ボーカリストでもある里アンナさんは、2013年、2015年ミュージカル「レ・ミゼラブル」のファンテーヌ役を演じ、フランスのコルシカ島で開催された歌のフェスティバルに出演されるなど、奄美のシマ唄を軸にしながら、様々な挑戦をされています。鼓童の太鼓のリズムにのりながら、「精霊が宿る声」といわれる艶のある神秘的な声が、観客を一気に奄美の世界にいざないます。
つづいて、奄美民謡大賞を17歳、最年少で受賞し、注目を浴びた里歩寿さんの伸びのある声が会場を包みます。別れの唄として唄い継がれてきた奄美民謡「行きょうれ節」が、鼓童の太鼓と共鳴するように、巧みに奏でられた三線の音色とともに歌われました。三線の音に乗せ、涼しげなファルセットとともにどこか情熱的でせつなさも感じさせてくれます。
鼓童の藤本容子さんの唄にあわせて、鼓童を代表する踊り手小島千絵子さんが華麗に舞い、ピアノと山口幹文さんの笛の音色が月夜に響きます。
奄美大島を全国に広めた「100年に一人の声」
綺麗な半月がすっかり上に登った頃、いよいよ元ちとせさんのステージが始まります。奄美大島を全国に広めた元ちとせさんの功績はあまりに大きいでしょう。「100年に一人の声」と言われるそのすばらしい歌唱から、多くの人が奄美大島のシマ唄、文化や大自然を知りました。奄美大島や全国各地の都市部にて、奄美大島にちなんだイベントやコンサートに多数出演し、企画もされています。2010年の奄美大島の豪雨災害の際、復興に向けたチャリティライブを企画され、「歌の力・音楽の力」で貢献されたことは、今でも印象に残っています。観光振興においても、奄美群島地域情報サイトである「あまみっけ。」の紹介ナレーションや歌のイベントを行う等、都市圏と奄美大島の人的交流の活性を目的に、精力的に活動されています。
元ちとせさんは、きれいに輝く月を眺め、波の音に耳を澄まし、まるで自然の中に溶け込むようにしながら、言葉を紡ぐように声を発していきます。シマ唄という素晴らしい文化を多くの人に知ってもらうきっかけになった元ちとせさんの声に、会場から感嘆のため息が漏れました。
ホールでは収まりきれないと感じるほどの歌声が、佐渡の海や山、そして空に向けて広がっていきます。会場がすっかり奄美大島の世界に包まれる頃、「平和を祈る思い」をこめて作られたアルバム「平和元年」から、「ケ・サラ」が歌われました。佐渡島と奄美大島から、平和への強い想いが発信されます。そして、シマ唄を、初めてポップスに昇華させたといわれる「ワダツミの木」では、唯一無二の切なくも深い歌声に会場が静まり返ります。最後に、奄美大島を代表する三人の歌姫に、鼓童のメンバーが加わり、二つの島の音楽が盛大に交わり、山口幹文さんが演出する、夢のような宴は幕を閉じました。帰り路、二つの島から生まれたすばらしい恩恵を全身に受け、「島っていいな」とつぶやいている自分がいました。
筆者:澤口美穂 ライター、輸出ビジネスアドバイザーとして活動中。
早稲田大学文学部にて演劇を専攻し、能、狂言、歌舞伎、浄瑠璃といった日本演劇、西洋演劇、映画について学ぶ。一方で、海外への興味も深く、渡航歴は30か国以上。様々な価値観に触れるうち、逆に興味の対象が日本へと広がる。現在は、外資系企業での国際ビジネス経験を元に、実際に各地に足を運び、日本各地発の魅力ある人、活動、ものについて、その魅力を伝えることで世界が結ばれていくことを願い、心を込めて発信中。