日本のピラミッド・キリストの墓・竹内文献は本当なのか!?」 酒井勝軍×狩野亭吉

「日本のピラミッド」「キリストの墓」「竹内文献」。どこかで耳にしたことがある言葉。証明されていない古代のロマンはワクワクしてしまうのが人間の性(サガ)ですね。

これらの超古代史を真剣に研究していた人物がいます。山形県出身の酒井勝軍(さかい・かつとき)です。酒井は、1898年(明治31年)シカゴ音楽大学、ムーディ聖書学院に学び、帰国後は東京唱歌学校を設立して、神の賛美伝道に従事していました。1914年6月7日(大正3年)酒井の目にした満月に突如雲がかかり十字を描いた異様な光景に出くわします。満月を背に十字架を描いた異象を、酒井は「丸は日の丸、十字はキリスト」と解釈しました。この時以降、日本民族とユダヤ民族には、秘められた関係があると直感し、日猶主義(Japanese-Israelism)を唱えます。

1927年(昭和2年)ユダヤ研究の実績を買われ、日本陸軍から、ユダヤ・シオニズム運動の調査のため、中東・パレスチナに派遣されました。その際、エジプトにも赴き、ピラミッド研究をしたことがきっかけで、日本の超古代史の研究にのめりこむこととなります。そして、ピラミッドが日本で発祥したという「日本ピラミッド」説を唱え始め、1932年広島県庄原市にある葦嶽山をピラミッドであると断定します。同年、青森県新郷村において、日本の2目のピラミッド大石神を発見し、同時にキリストの墓も発見しました。更に飛騨で3目のピラミッド上野平を発見。これらは全国の新聞で報じられ、続々と見物客が押し寄せる事態となりました。

酒井は日本の天皇は世界に君臨すべきこと、神政復古の実現を目指すべきであること、超古代の日本に優れた文明が存在したことなどをまとめた書物を刊行し主張しました。また神武天皇以前の歴史を記しているとされる「竹内文献」も推奨しました。瀬間のブームとは裏腹に、昭和初期の日本国は軍国体制化と変貌している途上であり、酒井の出版物は特高警察に押収され、当人も拘束されるなどの憂き目にあいます。また「竹内文献」の弾圧へと向かって行きます。そんな中、1940年酒井は亡くなりました。

これら酒井が唱えた日本のピラミッドやキリストの墓などを異説とし、「竹内文献」を偽書と断定した「狩野論文」の著者が狩野亭吉(かのう・こうきち)です。狩野は秋田県出身で、代々学者の家系に生まれます。東京帝国大学を卒業し、金沢の第四高等中学校、熊本の第五高等学校で教授を務め、1898年(明治31年)34歳にして第一高等学校校長に抜擢され、1906年からは京都帝国大学分科大学初代学長に就任しました。学長辞任後は、思想家として江戸時代の自然科学思想史に関心をもち人物紹介に尽力します。

1935年(昭和10年)『日本医事新報』から竹内文献の文書の写真5枚の鑑定依頼を受け、これを偽造と回答しました。翌年、岩波書店『思想』誌上で、それらをまとめた「天津教古文書の批判」(狩野論文)を発表。いわゆる「竹内文献」についての史料批判を行い、天皇制イデオロギーにまつわる迷信として偽書であることを証明しました。裁判では検察の証人として出廷しています。1942年出廷証言をした同年に病没しました。

真剣に超古代史を研究されていた酒井勝軍と、異説と切り捨てる現在の思想の基を著した「狩野論文」の著者である狩野亭吉が、同じ霊園内に眠る奇遇に驚く次第であります。

酒井勝軍 埋葬場所: 16区 1種 17側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/sakai_k.html
狩野亨吉 埋葬場所: 8区 1種 13側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kanou_ko.html

 

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


externallink関連リンク

◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
externallinkコメント一覧

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)