
この妖刀村正は、伊勢国・桑名、現在の三重県桑名市で作られてきました。
村正という名の一振りの刀があったわけでなく、刀工集団の名称が村正であり、そこで作られた日本刀の総称。いわばブランド名のようなものです。村正が刀を打ったとされる場所は諸説ありますが、桑名の市街地に近いところにその一つがあり、いまは村正屋敷跡という看板が立てられています。
ゲームやフィクションで強力な武器と言われる、村正とは
筆者個人的にはフィクション、特にゲームに馴染みが深い印象がありますが、村正は1981年にアメリカで発売された『ウィザードリィ』の最強武器として登場します。日本の妖刀とはまさにアメリカの人の心をくすぐる武器だったのでしょう。ウィザードリィはドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーに多大なる影響を与え、RPGの元祖として扱われています。
その系譜からか、村正はファイナルファンタジーシリーズをはじめとして多くのRPGに強力な武器として登場しているのです。最近では、日本刀の名刀を男性に擬人化し女性に大流行したゲームにも登場しています。
なぜ村正は妖刀と呼ばれたのか?
それは、時の為政者である徳川家をことごとく不幸にしたという伝説が残っているからなのです。徳川家康の祖父と父は暗殺されていますが、その暗殺に使われた刀が村正。さらに嫡男である信康の介錯の時に使われた刀が村正。そして関ヶ原の合戦の際に家臣が槍を落としてしまい、家康が指を切ってしまいますが、その槍は村正でした。激怒した家康は、村正をすべて破棄する命を下したとか。
このように徳川家にとってはまさに不幸を呼ぶ刀。家康が遠ざけようとしたのも無理はありませんが、徳川に対立するものたちにとっては妥当徳川としてある意味シンボリックな存在となりました。真田幸村は大坂夏の陣で村正を所有し、幕末の時代にも倒幕派が村正を愛用、西郷隆盛も村正を所有していたといいます。そして村正の所有者であった真田幸村も西郷隆盛も、最後には非業の死を遂げる…とちょっとできすぎなくらいな妖刀伝説です。
村正は国宝や重要文化財の指定を受けてはいませんが、歴史ロマンと相待って知名度が高くファンが多いのもうなづけますね。村正が活動拠点とした三重県桑名市では、村正を題材とした企画展を開くなどして全国から刀剣ファンを集めたことがありました。しかし全国的な知名度として広く知られてはいません。
忍者、妖刀村正と、心くすぐられる歴史的なコンテンツを持つ三重県が、もっと認知されてほしいと筆者は思うのです。
【筆者プロフィール】
1987年生まれ。三重県出身、25年間三重県で過ごした後、現在は東京在住のライター。上京した際に、豊富な観光資源をもつ三重県が知名度が低いことにショックを受ける。三重県の魅力を日々発信するべく、三重県の情報メディアを運営中。
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『 『妖刀』としておなじみの村正(むらまさ)… へのコメント 1件 』
(´・_・)刀は難しい…
儲かる時…五分五分の時…大損した時…売らずに保留している刀がある。
12万で売ろうとした刀に刃先(切っ先・ぼうし)が刃こぼれしていたので研ぎ師に相談したら20万と言われがっかりしました…( ´△`゚赤字になっちゃう☂️)
でも、刀には、こしらえ・鍔(○丸型や楕円形)・目抜き(金属製部品)等たくさん価値があるので-5万でも鍔1枚で100万円以上の物があるので、たまにホッとする時があります(´▽`*)
たまに悪い業者や悪い一般人のお客が騙しに偽物や傷(欠点)のある刀を持って来ますが、人も商品も慎重に見きわめるのが大事と思います。