
三重県出身の三大偉人といえば、松浦武四郎、河村瑞賢、そして本居宣長。本居宣長(もとおりのりなが)は、当時の伊勢国松阪、現在の三重県松阪市に生きた、江戸時代中期の国学者。18世紀最大の日本古典研究家といわれています。
町医者のかたわら古事記の解読を行う
本居宣長は、木綿商を営んでいた小津家の次男として生まれます。商人の子として生まれた宣長でしたが、彼は商売に関心がなく、母の勧めで22歳の時に京都に遊学、医学を学びました。医書を読むために漢学を学び、学問に触れたことで古典研究に関心を抱いていきます。28歳になった宣長は、故郷の松阪に帰郷。内科医・小児科医として医業を営む傍ら、地元のひとびとを相手に日本の古典の講義を開きました。そして町医者として働き続ける一方で、日本最古の歴史書である古事記や源氏物語を研究していったのです。
特に古事記の解読では、当時、読み方が失われつつあった古事記の注釈書を書き解読を行いました。
歴史・文学・日本語研究に大いに貢献
宣長の残した功績は、大きく分けて3つあると言われています。ひとつは日本文学の研究。宣長は先述の通り古事記を研究し、35年の年月をかけて古事記伝44巻を執筆しました。古事記伝とはつまり、古事記を徹底的に読み解いて、詳細に注釈を入れた解読書であり、日本の歴史を紐解いていったわけです。彼が古事記を読み解いていなければ、我々がいま学んでいる歴史は全く違うものになっていたかもしれません。
そしてもうひとつが源氏物語の研究。本居宣長が研究する以前の源氏物語は、好色の戒め説や、仏典との関わりといった読み方をされていましたが、宣長は源氏物語を、「物事や季節などからしみじみと感じ入ること」つまり日本人の精神の根底にある「もののあはれ」を表現した文学なのだと提唱しました。これによって源氏物語は、物語として読むことができるようになったのです。
最後は、先のふたつにも関連する、日本語そのものの研究です。宣長は日本語を体系立てることに大きく貢献しました。品詞の研究や古代の仮名遣いの研究を通し、日本語の法則を明らかにし、日本語を分類していきます。また、「てにをは」の係り結びの法則を発見したり、古代日本語の音韻を分析。これは現在の日本語研究にも影響を与えているほどです。
三重県にある本居宣長記念館
三重県松阪市には現在、本居宣長記念館があります。
本居宣長の旧宅「鈴屋」を公開しており、展示室では古事記伝などの自筆稿本類や遺品、自画像などが公開されています。日本古来の研究に大きな功績を残した本居宣長の功績を感じることができます。
【筆者プロフィール】
1987年生まれ。三重県出身、25年間三重県で過ごした後、現在は東京在住のライター。上京した際に、豊富な観光資源をもつ三重県が知名度が低いことにショックを受ける。三重県の魅力を日々発信するべく、三重県の情報メディアを運営中。
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