
日本には八万社を超える神社があるとされるますが、その頂点に立つ神社が三重県伊勢市にある伊勢神宮。なぜ、伊勢神宮が最高峰なのかというと、伊勢神宮に祀られている主祭神、天照大神が最高神であるためなのです。
天照大神は天上天下の主として誕生し、天皇家の祖神となった神。その貴い神が祀られている伊勢神宮の格式が最も高いのは当然ということになります。
6世紀以降、伊勢神宮は大王の守護神として伊勢に鎮座していましたが、壬申の乱ののちには国家的守護神の地位を確立。律令制下において、神宮は国家機関として明確な位置づけを与えられるようになります。
■天照大神に仕えた、斎王とは?
神宮の祭祀において重要な役割を担っていたのが、今回の記事のテーマである『斎王』です。斎王とは、天皇の代わりに天照大神に仕えた女性のこと。斎王は天皇の娘や姉妹、いとこなど、未婚の親族から選ばれ、都から遠く離れた斎宮で暮らしたとされています。
斎王の主な役割は、6月・12月の月次祭(つきなみのまつり)と9月の神嘗祭(かんなめさい)、いわゆる三節祭に参加すること、そのほかは、神宮から離れた多気郡の斎宮にいて、潔斎の生活を送ったそうです。660年の間に六十数名の斎王が存在したといわれています。
■斎王が暮らした、斎宮とその史跡
斎王が暮らした斎宮は、現在の三重県明和町にありました。碁盤の目上に道路が走り、斎王が住む建物や髪を祀る場所、斎宮寮と呼ばれる役人の建物などが建ち並び、都に並ぶほどの一大都市であったそう。当時には500人以上が暮らしていたとされており、斎宮は斎王が変わるたびに新しく作られたといいます。斎宮から伊勢神宮までは10キロ以上離れていましたが、100人以上のお供を従え、2泊3日をかけて行列で向かったそうです。
現在、三重県多気郡の明和町には、「斎宮歴史博物館」があり、斎宮と斎王の歴史を伝えています。考古学的な価値とともに、日本の歴史における重要な史料です。かつて斎宮があったとされる明和町周辺は、伊勢市と松阪市の中間に位置する町で、かつて都に匹敵する斎宮があったとは思えないほどののどかな田舎町。一見するとなんでもない町にも見えてしまいますが、貴重な文化財、豊かな歴史と文化に恵まれた、歴史ロマンを感じさせる町なのです。
【筆者プロフィール】
1987年生まれ。三重県出身、25年間三重県で過ごした後、現在は東京在住のライター。上京した際に、豊富な観光資源をもつ三重県が知名度が低いことにショックを受ける。三重県の魅力を日々発信するべく、三重県の情報メディアを運営中。
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