三重県伊賀市はいかにして忍者の里になったのか?

7月のある週末、こんな話題がネット上を駆け巡りました。

「忍者の給料は945万円」
「高額な給料なのに忍者は不足している」

三重県伊賀市の市長の発言が元だとされていましたが、実際の情報をたどっていくと、伊賀市の岡本市長を取材したアメリカのラジオ番組が番組上で忍者の給料について言及したということがわかっています。これは市長が実際に発言したものではなく、忍者の給料についてはフェイクニュースでした。

しかしラジオでの発言を受けてか、伊賀市の問い合わせ窓口には、アメリカやスペインから「ぜひ応募したい」「募集しているのか」という問い合わせが相次いだといいます。
騒動を受けて伊賀市は、公式に文書で否定した上で、「募集はしていないが、街中の随所で忍者の息吹を感じることができる。ぜひお越しください」とコメント。忍者の給料についてはフェイクニュースでしたが、伊賀市が忍者の里であることは本当です。

伊賀市にある『伊賀流忍者博物館』には、世界一といわれる忍者資料があり、博物館管内にある忍者屋敷では、くノ一の案内のもと、仕掛け戸や外に脱出するどんでん返しなど、忍者が実際に使用したギミックを体験することができます。また、忍術の体験ができたり、忍者集団による忍者ショーが楽しめるなど、忍者ファンにとってはたまらない街です。

さて、そもそもなぜ三重県伊賀市は忍者の里となったのか? それは地形が大きく関係しているといいます。

忍者が発展したその当時、政治の中心地であった奈良や京都から近いにも関わらず、伊賀は四方を山に囲まれてた閉鎖的な環境。伊賀をおさえれば政治的に有利になるため、複数の勢力が互いに争っていました。山深い閉鎖的な環境であるがゆえに、情報戦を制するために諜報活動が発達したり、敵襲を避けるために屋敷のカラクリが発展し、忍術が発達していきました。

また、伊賀市の周辺に、赤目四十八滝や霊山など、修験道にまつわる土地があったのも理由の一つ。修験道とは、山にこもって修行をすることで、悟りを得ることを目的とした日本独特の山岳信仰。その修験道の術が忍術に取り入れられ、伊賀流忍術として完成したのです。

このような歴史を持つ三重県伊賀市は忍者の聖地。忍者に興味がある人は必ず楽しめる街です。

【筆者プロフィール】
1987年生まれ。三重県出身、25年間三重県で過ごした後、現在は東京在住のライター。上京した際に、豊富な観光資源をもつ三重県が知名度が低いことにショックを受ける。三重県の魅力を日々発信するべく、三重県の情報メディアを運営中。
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