友情の証として創設した直木賞と芥川賞 菊池寛×直木三十五追悼碑

先日、第159回として2018年上半期の直木賞と芥川賞が発表され、直木賞に島本理生の『ファーストラヴ』が選ばれました。直木賞は無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞です。創設者は当時、文藝春秋社社長を務めていた菊池寛(きくち・かん)が、友人の直木三十五を記念して、1935年(昭和10年)に設立しました。同時に芥川龍之介を記念して芥川賞も創設しています。ともに上半期と下半期の年2回発表されています。

 菊池寛は香川県高松出身で代々高松藩儒学者の家柄で、芥川龍之介とは第一高等学校時代の同級生です。1916年(大正5年)京都帝国大学卒業後、時事新報社会部記者を経て、小説家となり、『無名作家の日記』『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』を発表して流行作家となりました。理知派を代表し、個人主義・現実主義の立場から人間を解剖し、生活的・常識的見方で封建思想を否定した作風でした。

 1923年私費で雑誌「文藝春秋」を創刊し、出版事業の進展に尽力しました。1926年劇作家協会と小説家協会が合併して日本文藝家協会を発足させ初代会長に就任。文芸家の職能を擁護確立、地位向上、言論の自由の擁護、収入・生活の安定などを活動の主軸とし、個人的にも多くの作家や文学者の金銭的な援助を行いました。そのような時に、純文学の新人作家の地位向上を目的として直木賞と芥川賞を設立したのです。

 菊池寛と直木三十五は1925年(大正14年)連合映画芸術家協会を一緒に設立して映画製作に乗り出すなど親交が厚い友人でした。しかし、1934年(昭和9年)に直木三十五は結核により43歳の若さで没しています(お墓は横浜市金沢区の長昌寺)。同級生であった芥川龍之介も1927年(昭和2年)に服毒自殺をしています(お墓は豊島区巣鴨の日蓮宗慈眼寺)。

 直木三十五が亡くなった翌年に友情の証として直木賞と芥川賞を設立していますが、同じ年に多磨霊園に菊池寛の手によって「直木三十五 追悼碑」も建之しています。その碑文は下記のように刻まれています。

「直木三十五の文名は自ら不朽にして金石に刻して後世に伝ふる必要なきを信づ。
ただ知友彼を偲ぶの情此處にこの石碑を建つ。
後人この石碑を過ぎりて思ひを彼の作品に走らすことあらば幸せ」

昭和十年二月二十四日
菊地 寛 撰
菅原 虎雄 書

菊池寛 埋葬場所: 14区 1種 6側 1番
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kikuchi_hi.html

直木三十五 追悼碑 場所:6区1種2側と8側の角地
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/GRAVESTONE/naoki_hi.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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