「夢をありがとう」壮大な計画に挑んだ二人 若尾鴻太郎×高橋政知

「富士山にハイヒールで日帰り登山」。この計画を本気で考えた人がいました。若尾財閥の御曹司、若尾鴻太郎です。

若尾財閥は若尾逸平と弟の若尾幾造が横浜開港時に外国人相手に生糸の売り込み問屋で財を成し、京浜方面の銀行・企業の経営で大きな勢力を持った財閥です。多磨霊園には2代目若尾民造の二女の婿養子となった若尾璋八も眠っており、璋八の長男が若尾鴻太郎です。

鴻太郎は若尾家の家紋が「三ツ引」であったことに由来して三ツ引商事株式会社を創立。更に三ツ引物産、三ツ引絹糸、三ツ引陶器、三ツ引保全を創立し社長に就任し、東京商業銀行の取締役頭取、南洋貿易にも着眼し事業展開をも図りました。鴻太郎はこの時まだ29歳。大正時代の青年実業家として活躍しました。

1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌により若尾銀行が破綻した機を境に若尾財閥は衰退をしていくことになります。戦前戦後は多くの会社の取締役を務めていた鴻太郎ですが、どうしても叶えたい夢がありました。1950年その構想案を出願します。それが「富士山頂までモグラケーブルを引きケーブルカーで山頂まで行ける案」です。

しかし、志半ば、1953年に亡くなりました。鴻太郎の死去により計画が消えかけましたが、志しを引き継ぐ人が現れました。富士急社長の堀内一雄です。安全性と環境保全に最大限配慮したトンネルケーブルの計画でしたが、富士山は国立公園であるとともに、文化財保護法による特別名所にも指定されているため却下、断念しています。

富士山の案は失敗した話しでしたが、22年間奔走し夢を実現させた人物もいます。東京ディズニーランド生みの親である高橋政知です。

東京ディズニーランド生みの親である高橋政知さんのお墓

高橋政知は福島県知事や警視総監を務めた太田政弘の子として生まれ、1940年に富士製紙専務で資産家の高橋貞三郎の一人娘の婿養子となり高橋姓になりました。戦争時は召集令状を受け、パプアニューギニアのラバウルに送り込まれ捕虜となるも無傷で生還しています。

戦後は富士石油販売の役員となり、そこで三井不動産社長の江戸英雄と知り合いました。1960年に朝日土地、京成電鉄、三井不動産の持ち株会社としてオリエンタルランドが設立され、江戸の誘いで翌年より、高橋は専務として入社しました。この時の社員は3名でした。

ここから高橋の孤軍奮闘が始まります。浦安漁民との漁業権放棄に向けた補償交渉では、直接漁民の家を訪ね一つひとつ交渉をまとめていきました。1978年からは自らが社長となり、ディズニー社との権利関係や著作権交渉などの厳しい要求を乗り越え契約を締結させます。自らリーダーシップを発揮し様々な難関を乗り越えついに、1983.4.15(昭和58年)米国以外で初のディズニーランドとなる「東京ディズニーランド」の開園にこぎつけました。

東京ディズニーランド生みの親である高橋政知さんのお墓

開園後も東京ディズニーリゾートの形成、第2パーク構想(後のディズニーシー)などに尽力。2000年ディズニーシーの開園をまたずして亡くなりました。翌年の9月4日高橋の誕生日に世界初「海」をテーマとした東京ディズニーシー、ディズニーテーマパーク、東京ディズニーシーホテルミラコスタがそろってオープンしたのです。

若尾鴻太郎 埋葬場所: 11区 1種 10側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/W/wakao_ko.html
高橋政知 埋葬場所: 6区 1種 8側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takahashi_ma.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

0

externallink関連リンク

◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
externallinkコメント一覧

コメントを残す

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)