時代に翻弄されたサッカー選手とサポーターの元祖 高橋豊二×池原謙一郎

2018年ロシアワールドカップで日本代表チームは下馬評を覆して活躍しました。サッカー日本代表は1998年フランス大会から6大会連続でワールドカップ出場を決めており、最近ではワールドカップに出場することが当たり前になっていますが、それ以前は一度も出場したことがありませんでした。

Jリーグが誕生しプロ化になったのは、1993年(平成5年)です。日本サッカー協会・JFAの前身の大日本蹴球協會が発足したのは、1921年(大正10年)であり、FIFAに加盟したのは1929年(昭和4年)です。1930年に行われた第1回ワールドカップ開催にあたり、FIFAから参加要請があったにも関わらず、昭和金融恐慌の不況期であった日本は出場を断っている歴史があります。

サッカー日本代表は長い歴史の中で、1968年メキシコ五輪で銅メダルの獲得はあったものの、その前後は近年まで低迷をしていました。そんな中で、唯一特筆すべき快挙があります。1936年(昭和11年)ベルリン五輪の1回戦で優勝候補であったスウェーデンを相手に戦い、前半奪われた2点のビハインドを後半に逆転して勝利を収めた試合です。これは「ベルリンの奇跡」と言われています。この日本代表メンバーの一員だったのが高橋豊二です。

高橋豊二は総理大臣も務めた高橋是清の孫です。そんなところから相性は「マゴ」でした。当時の日本代表メンバーは早稲田大学ア式蹴球部主体の選抜チームであり、16名のメンバー中10名が早稲田選手でした。そんな中、東京帝国大学(現在の東京大学)のフォワードで活躍していた高橋が選出されました。試合での出場機会には恵まれませんでしたが将来を期待されての抜擢でした。しかし、帰国後、戦争に突入したこともあり、高橋は大学卒業後に海軍航空学校の予備航空学生となります。そして1940年訓練中に殉職。26歳の若さでした。

池原謙一郎の墓

ベルリン五輪で強豪スウェーデンを撃破してから、26年後の1962年(昭和37年)日本代表がスウェーデン代表チームを招聘して試合を行っています。この試合から「静かなスタンドに活気を与え、日本チームを応援しよう」と音頭を取り仲間を募った人物が池原謙一郎です。

池原はサッカーのサポーター組織「日本サッカー狂会」を設立し、日本サッカー元祖サポーターです。国立競技場のバックスタンド中央の19番ゲート付近を観戦・応援場所の聖地とし、自作の横幕を掲げ、男子はもとより女子や少年の応援にも駆けつけたサッカー熱愛者。1968年「ニッポン! チャチャチャ!」の応援スタイルを発案したことでも有名です(バレーボールの応援で定着している)。

池原謙一郎の墓

池原の本業は環境造景作家であり、東京オリンピック記念代々木公園基本構想や大阪万博政府出展日本庭園実施設計などに携わり、筑波大学名誉教授でもあります。元々サッカー選手であったこともあり、休みの日は「日本もサッカークラブだ」という大書した横幕を持参し応援していました。2002年日韓ワールドカップを楽しみにしていたその年に逝去。73歳でした。仲間たちは遺影を持って埼玉スタジアムの日本代表戦を応援したことが新聞ニュースでも紹介されました。

池原謙一郎の墓

時代に翻弄されたサッカー選手とサポーターの元祖。お墓がサッカーボールというのも斬新ですね。

高橋豊二 埋葬場所: 9区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takahashi_ty.html

池原謙一郎 埋葬場所: 19区 1種 7側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/ikebara_ke.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。


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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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