多磨霊園に眠るノーベル賞を逃した人たち(戦後編)

【画像は 松澤教会会員墓地内の賀川豊彦氏のお墓】
2018年5月4日、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーは選考漏洩やセクハラ疑惑などの不祥事を受けて、2018年の文学賞の発表を見送り、来年の2019年に延期することを明らかにしたニュースが飛び込んできました。誠に残念ですね。その団体は、2009年9月(平成21年)ホームページ上で1950年までの文学賞の候補者リストを英語版にて公開しました。またノルウェーのノーベル委員会は1956年分までの平和賞の候補者リストを公開しました。

多磨霊園に眠るノーベル賞を逃した人たち(戦前編)

日本人のノーベル文学賞受賞者は川端康成(1968年)、大江健三郎(1994年)、日本出身で英国籍のカズオ・イシグロ(2017年)の3名です。ノーベル平和賞受賞者は佐藤栄作(1974年)のみです。

この発表によって、賀川豊彦が1947年と1948年の2年連続でノーベル文学賞候補者として、1954年、1955年、1956年の3年連続でノーベル平和賞候補者であったことが判明しました。

ノーベル文学賞と平和賞として候補者だった賀川豊彦のお墓

賀川豊彦は神戸出身のキリスト教伝道者で戦前戦後に多くの社会事業や平和活動を行った人物です。重度の肺結核を患い、医者から二度も死の宣告をされた経験から、「どうせ死ぬなら、自殺する勇気をもってすべてに向かって行こう」と21歳の時に決意し、神戸のスラムに居を移し路傍伝道・貧民救済・無料巡回診療を始めました。1919年からは救貧から防貧をスローガンとし活動し、関東大震災の報せを聞くと東京に転居し救済に当たりました。

1920年に自伝小説『視線を超えて』を発表し、1年間で100万部、通算400万部のベストセラーとなり、スウェーデン語に翻訳され、北欧で賀川ブームが巻き起こりました。賀川はインドのガンジーと並ぶ「東洋の聖者」として、またキリスト教精神に基づく社会運動家としても世界的に著名であり、欧米で最も知名度の高い日本人でした。

ノーベル文学賞受賞者候補者だった三島由紀夫のお墓

ノーベル文学賞受賞者としては三島由紀夫もいます。1965年と1967年に候補者として名前が挙がりました。本名は平岡公威、語るまでもなく今なお読み継がれる傑作を世に送り出してきました。しかし、1970年に東京市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乗り込み、自衛隊の決起を促したが果たせず、割腹自殺をしました。ノーベル賞は存命者に授与する賞と定められているので、もし生きていたらという多くの声が聞こえてきますね。

ノーベル化学賞候補者リストに明記された水島三一郎のお墓

戦後の多磨霊園に眠るノーベル賞を逃した人物をもう一人ご紹介します。1962年と1964年のノーベル化学賞候補者リストに明記された水島三一郎です。水島三一郎は物理化学者として分子構造論や量子化学を専門としていました。化学賞ではないですが、実は日本人のノーベル物理学賞受賞者の11人中7人が量子化学の研究者が授与されているほど、日本では量子論の研究が現在でも盛んです。日本人初のノーベル賞受賞者の湯川秀樹も、二番目の受賞者で多磨霊園にも眠っている朝永振一郎も量子論です。

これからも開示されていけば、まだまだ多くの多磨霊園に眠る世界を驚かせた先人たちの名前が挙がってきそうですね。

賀川豊彦 埋葬場所: 3区 1種 24側(松澤教会会員墓地)
賀川豊彦 埋葬場所: 4区 1種 52側(賀川家)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kagawa_t.html

三島由紀夫 埋葬場所: 10区 1種 13側(平岡家之墓)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/mishima_y.html

水島三一郎 埋葬場所: 11区 1種 24側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/mizushima_s.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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