多磨霊園に眠るノーベル賞を逃した人たち(戦前編)

 2017年日系イギリス人小説家のカズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したことは記憶に新しい出来事です。今まで日本国籍でノーベル賞を受賞した人数は、物理学賞9人、化学賞7人、生理学・医学賞4人、文学賞2人、平和賞1人。イシグロ氏の他、日本出身だがアメリカ国籍取得後の受賞者に物理学賞で2人。総計26人がノーベル賞に輝いています。ノーベル賞受賞者で多磨霊園に眠っているのは朝永振一郎(師の仁科芳雄の墓所に分骨:22区1種38側)だけです。

 ノーベル財団のウェブサイトでは50年間の守秘義務期間が過ぎた当時の候補者たちや選考課程が開示されています。日本人初のノーベル賞の受賞者は湯川秀樹(物理学賞)が戦後すぐの1949年に受賞したのが初めてですが、戦前には北里柴三郎や野口英世ら17人が、のべ42回候補者に挙げられています。あと一歩でノーベル賞を逃した多磨霊園に眠っている人たちを戦前編・戦後編と分けて紹介をしたいと思います。

 1911年(明治44)ノーベル化学賞で日本人初の候補者として名前が挙がった人物が秦佐八郎です。1912年・1913年にはノーベル生理学・医学賞でも候補者になっています。秦佐八郎は島根県出身。大日本私立衛生会の伝染病研究所に入所し、細菌学者として梅毒に対する特効薬の研究をしました。ドイツ留学時の、1910年に606号物質に梅毒特効薬としての効果を発見し「サルバルサン」と命名しドイツ学会で発表しました。これは世界初の化学療法剤であり、世紀の大発見として世界から注目されましたが授与までには至りませんでした。

 1914年(大正3年)ノーベル生理学・医学賞、1936年(昭和11年)ノーベル化学賞候補者として名前が挙がったのが鈴木梅太郎です。鈴木梅太郎は静岡県出身。東京帝国大学教授として植物生理化学や農芸化学を研究していました。蛋白質の化学分析と動物実験を行い、鳩やネズミに米や肉の蛋白質を、種類を変えて与え発育の違いを実験していたところ、脚を引きずりながらよろよろ歩き、やがて動かなくなる傾向がわかりました。これは人間の脚気の症状とよく似ていることに気づき、脚気を防ぐ有効成分がコメ糠の中にあると考え、その有効成分を濃縮し単離する実験を開始、1910年コメ糠からの抽出に成功しました。これを「オリザニン」と名付け、更にこれが未知の栄養素であることも付け止めました。

ビタミン発見の祖・鈴木梅太郎

しかし、農芸化学者であった鈴木の発見は医学界から無視されたことで日本語の論文しか発表しておらず、後のドイツ語の翻訳でも誤って「世界初」という文言が記されていなかったこともあり、注目されることはありませんでした。

オリザリン発見から一年後、ポーランド人のカシミール・フランクが同じ研究内容の論文を発表し「ビタミン」と命名しました。世界ではこちらが注目され定着。鈴木の研究は国内外で再評価されましたが時すでに遅し、授与までは至りませんでした。

 1931年・1933年・1935年・1936年・1937年・1939年と6度もノーベル生理学・医学賞の候補者として名前が挙がったのが呉建です。呉建は東京出身。祖父は蘭学者の呉王石、父は統計学者の呉文聡の学者一家の家系です。循環器病学、神経生理学を研究し、特に脊髄副交感神経の発見は海外でも注目される程の権威者でした。候補者に何度もリストアップされるも選出されなかった理由を、国連大使を歴任した松平康東は、当時日本が枢軸国であったことから受賞に至らなかったとしています。

脊髄副交感神経を発見した呉建

【お墓詳細】
秦佐八郎 埋葬場所: 14区 1種 21側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hata_su.html

鈴木梅太郎 埋葬場所: 10区 1種 7側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/S/suzuki_u.html

呉 建 埋葬場所: 21区 1種 25側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kure_k.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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◆歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/
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