戦死した子供たちの健気な気持ちが残る…『二本松少年隊』の心が残る霞ヶ城(2)

前回は霞ヶ城の天守台まで登りましたが、本丸を降りてからの道中、樹々の隙間から桜に囲まれた美しい空間にレリーフが立っていました。
戊辰戦争の際に奮戦した少年隊士を浮き彫りにしたレリーフです。戊辰戦争の少年隊といえば会津若松の白虎隊の集団自決が頭に浮かびますが、あまり知られていない二本松少年隊の討死も悲壮なものでした。

二本松少年隊

二本松藩の兵力は二千程度、白河城攻略戦にも人数を出しているため、新政府軍接近を前に兵力は不足。やむなく12歳から17歳までの少年の動員を認めざるを得ませんでした。もちろんそれは藩上層部が独断で決めたことではなく、戦況を知った少年たちが出陣の嘆願を重ねた結果、藩庁が苦渋の決断を下したものです。後に「二本松少年隊」と呼ばれる少年たちは62人を数え、自分の体よりも長い刀を振るって奮戦しましたが、新政府軍の銃弾に次々と倒れていきました。この時に戦死した16人の少年たちは丹羽家の菩提所である大隣寺に静かに眠っています。

二本松少年隊

この夢のような美しい広場は、戊辰戦争直前まで少年たちが砲術稽古をしていた跡地でした。そこには、戦争の悲惨さではなく、ただ故郷を守ろうとした子供たちの健気な気持ちが残っていました。少年隊の丘。入り口の右小路には、数え切れない程の紫陽花がありました。止まらない涙のように雨が降り続く6月、あたたかい紫陽花の花が訪れる人の心に寄り添うでしょう。

撮影・文 / Shimazaki

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