
映画祭メイン会場「合宿の宿 ひまわり」の入口で出迎えてくれたのが、全国的にも有名になりつつある夕張市のゆるキャラ「メロン熊」。強烈な洗礼を受けつつ、スタッフやボランティアの笑顔と「お帰りなさい」という温かい言葉に迎えられ、映画会場に入りました。その場所は「映画が好きだ」という熱意と心意気が感じられ、地元のおじいちゃんやおばあちゃんが楽しそうに映画の上映を待ち、都市型映画祭とは異なる自由でのどかな光景に満ちていました。
最初に鑑賞したのが、過去を封印して生きてきた年老いた女性を主人公に、日本を代表する名優である八千草薫と仲代達矢が共演した心揺さぶる人間賛歌『ゆずり葉の頃』。『日本のいちばん長い日』などの故岡本喜八監督の妻でプロデューサーでもある中みね子氏が初監督となる繊細な物語です。美しい長野の風景や日本画家・宮廻正明による劇中画、そして山下洋輔のピアノが、観客の心に余韻を残します。フジテレビの笠井信輔アナウンサーの進行のもと、急遽骨折で登壇を断念した監督に代わり、娘である岡本真実氏が舞台挨拶し、たくさんの来場者に感激した様子で映画の裏話やご家族の事を話されていました。
他には、インド映画の世界興行収入No.1を打ち立てた、感動の実話を基に描かれた『ダンガル きっと、つよくなる』や、エマ・ストーン出演の『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(原題)を楽しみ、世界を席巻した三船敏郎の波乱に満ちた生涯と映画人生に迫るドキュメンタリー映画『MIFUNE: THE LAST SAMURAI』を『羅生門』とともに堪能しました。監督を務めたスティーヴン・オカザキ氏と、三船敏郎の孫であり本作のプロデューサーでもある三船力也氏が、本映画製作の背景及び苦悩を語られており、観客は映画の世界により惹きつけられていきました。
夕張は雪国の中の小さな街です。夜になると、俳優、スタッフ、映画ファン問わず、大勢の来場者が地元の飲食店に集まります。そこで皆が肩を並べて、夜な夜な映画談義を繰り広げるのもこの映画祭の醍醐味です。地元の方が中心で開催する”ストーブパーティ”では、屋外でストーブを囲み、無料で料理が振る舞われました。氷点下2度の星空の下、会場は熱気に包まれます。
受け付けで皿を受け取り(任意にて”お気持ち”を支払う)、ホタテ、シカ肉、ジンギスカン、キノコ汁、豚汁を頬張り、ビールやホットワインなどのドリンクをいただきました。クリエイター、観客、市民が別け隔てなく、誰もがフラットであり、参加者同士の距離感も縮まり、寒くて狭いエリアだからこそ生まれるホットな交流を楽しみます。財政再建が始まってからの10年間、夕張にとどまった市民の苦労は私達の想像を超えるものでしょう。しかし、訪れた人は、夕張市民の笑顔と温かいおもてなしに逆に力をもらい、本映画祭最大の魅力は「人」にあることを実感します。
札幌に戻る前に、もう一つ、今回立ち寄るべき場所が残っています。『幸福の黄色いハンカチ』のラストシーンで有名な、街外れにあるハンカチがなびいていた炭鉱住宅です。現在、夕張の街に炭鉱住宅の面影はありません。しかし「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」の一角が、映画のロケ地として大切に保存されています。冬にも黄色いハンカチは上がっているのだろうか?と雪原を歩いていくと、遠くに冬景色に舞う黄色いハンカチを見つけました。駆け寄り、その光景を眺めていると、たとえ財政破綻しようとも、映画という文化を守り、温かい心を守ってきた夕張市民の象徴をそこに見たような気がします。夕張市民にとって映画は、炭鉱の記憶と強く結びついています。今でこそ映画館はないけれど、そんな映画への熱い想いが、この街には連綿と息づいているのです。「おかえりなさい」が合言葉の映画祭に来て、夕張を故郷のように感じてほしいという思いを深く心に刻みました。
筆者:澤口美穂。カナダへのワーキングホリデー、グアテマラ留学含め、約2年半北米、中米、南米を中心に周遊。帰国後、ヨーロッパ本社の外資系企業日本法人2社で勤務し、アジア、ヨーロッパへ数多く出張。20代からの訪問国数は約30か国以上。平成28年、生活拠点を東京から札幌に移す。様々な国の人々と共に働いてきた経験や自分の想いを形にした新しいビジネスと人生のセカンドステージを構築中。