
「夕張の雪は世界一美しい。神が雪を降らせている場所だ。」世界的映画監督クエンティン・タランティーノのコメントです。当時無名だったタランティーノが「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」(以下、ゆうばり映画祭)に参加して以来持ち続けるゆうばりへの非常に強い想いです。北海道夕張市。かつて炭鉱の街として栄えてきましたが、石炭需要の減少に伴い衰退し、最盛期は11万人以上だった人口は、現在8600人程度。夕張には17軒もの映画館が軒を連ね、24時間にわたって映画が上映されてきた時代があったといいますが、今では、映画館が1軒もありません。それでも夕張は「映画の街」として多くの映画ファンに愛され、世界中の映画人が“故郷”として愛してきたゆうばり映画祭です。
その過程は決して平たんなものではありませんでした。眠らない炭鉱事業のために24時間営業をしてきた映画館でしたが、当時の市民生活に映画はなくてはならないものであり、『幸福の黄色いハンカチ』に代表される数々の名作のロケ地にもなりました。こうした時代もやがて過ぎ、閉山により疲弊した街を復活すべく1990年に生まれたのが「ゆうばり映画祭」でした。日本映画界の発展とともに歩み続けてきましたが、夕張の財政悪化が深刻となり、映画祭の運営が困難になり、2006年7月には翌年の映画祭中止を発表となり、夕張市も事実上財政破綻しました。
再建に向け苦難の道を歩み始めた夕張市でしたが、「映画祭をなくしたくない。」という映画人や映画ファン、市民有志たちのバックアップにより、急きょ2007年2月に「ゆうばり応援映画祭」の開催が決まりました。この時はシルベスター・スタローン主演の『ロッキー・ザ・ファイナル』がオープニング作品に選ばれ、「何度、打ちのめされても、再び立ち上げるんだ」と同作が訴えかけた「ネバー・ギブ・アップ」の精神が多くの市民の心を揺さぶったといいます。最盛時には1億円以上あったと言われる予算は縮小を余儀なくされたものの、「映画への愛」「ふるさとへの愛」というふたつの柱はぶれることなく、映画祭が今でも続けられています。
夕張に到着し車で巡ると、空き家や廃墟の光景が目立ち、炭鉱従業員が買い物と娯楽に利用していたという本町商店街も閑散としていました。街の斜陽化により、シャッターが閉まった店が多くなり、人通りも少なく、時が止まったような風景がありました。キネマ街道と呼ばれるその界隈では、昔ながらの職人による手描きの映画看板が掲げられ、昭和レトロを感じます。任侠ものからおしゃれな洋画まで「太陽がいっぱい」「カサブランカ」「男はつらいよ」…など名画ばかりです。昔を知る人には懐かしく、知らない人には新鮮に映ることでしょう。
夕張に炭鉱があった時代に地元で愛されていたカレーそばを、昭和4年創業の老舗「吉野屋」で食べました。なみなみと盛られたスープは、和風出汁とカレーが絶妙な風味を醸し出し、少し凍てついた胃と心をゆっくりと温めることができました。お店を出た後、錆びたシャッターの色あせた看板の横に、ゆうばり映画祭のポスターを見つけました。止まっているかのように見えた街の風景が動き出し、光を見出すがごとく、ゆうばり映画祭(2018年3月15日~3月19日に開催)のメイン会場に向かいました。
(つづく)
筆者:澤口美穂。カナダへのワーキングホリデー、グアテマラ留学含め、約2年半北米、中米、南米を中心に周遊。帰国後、ヨーロッパ本社の外資系企業日本法人2社で勤務し、アジア、ヨーロッパへ数多く出張。20代からの訪問国数は約30か国以上。平成28年、生活拠点を東京から札幌に移す。様々な国の人々と共に働いてきた経験や自分の想いを形にした新しいビジネスと人生のセカンドステージを構築中。