日蓮が太陽のような明るさと生来の前向きさを備えていた理由

仏教のイメージは暗い。近年こそ「癒し」「スピリチュアル」「パワースポット」などのキーワードで変化しつつあるが、「ハレの日」を司る神道に比べて仏教は葬儀、法要など、つまり「死」の一文字がつきまとう。そうした中で日蓮(1222〜1282)はひたすらアクティブでエネルギッシュな「明るさ」を持った太陽のような存在であった。日蓮の明るさとは何か。

■暗いイメージをまとった仏教に批判的だった日蓮

癒し、スピリチュアルと言っても、病院で念仏を唱える勇気は中々持てないのではないか。仏教は逃れられない「生・老・病・死」をいかに克服するかを探究し続けてきた。仏教において生きるとは苦しみである。仏教は必然的に暗さを帯びている。

仏教を貴族から庶民に開放した鎌倉新仏教は浄土宗開祖・法然(1133〜1212)の専従念仏に始まる。学問や修行をしなくても「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで極楽浄土に往生できるという教えである。浄土系仏教では「厭離穢土・欣求浄土」といい、穢れた現世から浄土というユートピアへ向かう道を示した。生きていても何もいいことはない。しかし念仏を唱えれば極楽に行ける。これを死後の世界への逃避と捉えても間違いではないといえる。浄土系仏教の根本は現世に対する絶望である。これを徹底的に批判したのが、時系列的には鎌倉新仏教のトリを務める日蓮であった。日蓮にとっても戦乱や災害、貴族、僧侶の堕落・・・現世は穢れていた。しかし浄土系のように現世に見切りをつけて極楽へ逃避するのではなく、現世を浄め、現世を浄土に変えようとしたのである。

■絶望無き出自の日蓮

日蓮が鎌倉仏教の祖師たちと異なるのはその出自である。法然は武士の子、道元(1200〜1253)は諸説あるものの公卿(上級貴族)の生まれである。日蓮は安房国(千葉県安房郡)の漁村に生まれた。武士でも貴族でもない庶民の出であった。幼い頃から学問を学べた日蓮の家は全くの底辺の身分ではないと思われるが、日蓮は終生自らを「漁父の子」「旃陀羅の子」と称した。旃陀羅とは現代で言う「不可触民(アウトカースト)」のことである。その理由は明白でないが、日蓮の底知れない生命力は雑草の強さであり、出自で出世が決まる堕落した仏教界に対する反骨の現れかもしれない。いずれにせよ平民であることで、武力衝突などの類に巻き込まれることなく自然に囲まれてのびのびと育つことができたと思われる。武士であった父が夜討ちで殺害され、現世に絶望した法然とは対照的である。梅原猛(1925〜2019)は日蓮の出家の動機が、家庭的不幸ではなかったことで「彼には影がない」とし、「どんな苦難の中にあっても驚くほど快活で明朗」「太陽のような明るさ」を持つことができたと指摘している。

■獅子吼する日蓮

日蓮に絶望は無かった。それ故にこの世から逃げるのではなく、この世・この地を憂う気持ちがあった。末法思想の蔓延する現世を、自らが絶対の真理と信じる「法華経」の教えによって浄化するべく立ち上がった。日蓮は自分の使命に目覚めたその日、昇る太陽に向かって「南無妙法蓮華経」の題目を、叫ぶように10度唱えたという。日蓮は獅子吼する。「我、日本の柱とならむ 我、日本の眼目とならむ、我、日本の大船とならむ」(開目抄)。
激烈である。あくまで現世を見据え、現実が駄目なら俺が変えてやると言わんばかりの猛々しさと希望を失わない明るさは、これまでの仏教者には無いものであった。強いて言えばこの世で仏になる「即身成仏」を説いた空海(774〜835 )がやや近い。しかし貴族や従来の奈良仏教とも接近するしたたかな一面を持つ空海とは違い、日蓮は法華経以外の仏法に対し徹底的に批判の矢を打ち込んだ。
日蓮は「念仏無間・禅天魔・律国賊・真言亡国」と各宗派を批判した(四箇格言)。念仏宗は無間地獄に堕ち、禅宗は天魔の類、律宗(南都六宗の一派)は国に仇を為し、真言宗は国を滅ぼすという。当然周りは敵だらけである。しかし日蓮は妥協しない。日蓮にとって国を浄める方法とは法華経の宣布である。法華経の教えが遍く日本全土を包み込んだ時、日本は浄土・仏国土になるとした。その法華経を袖にして他の経典を持って立教するとは何事か。まさに国賊、亡国の輩というわけである。
法華経によって現世を浄化するとは現代の我々には容易には理解し難いが、あるイデオロギーが世界を変えると考えることは珍しくない。社会主義者も我々日本人のような民主主義国家の人間も、それぞれが世界のスタンダードであることが最善だと信じている。
そんな日蓮が神々を叱り飛ばしたという逸話がある。四方八方に敵を作った挙げ句、江の島付近の龍の口刑場で処刑されることになった日蓮。刑場に連行される道中に通りかかった鶴岡八幡宮で足を止め、仏の真の教え(法華経)を説く自分を、仏法の守護者たる神々(八幡大菩薩)が見て見ぬ振りするのとは何事だと怒鳴ったという。法華の行者・日蓮は神々より偉いのである。なんとも豪快な逸話ではないか。処刑される身でこのようなことが言えるのはやはり並の人物ではない。この後、天空より光る物体が現れて難を逃れたと言われる。日蓮に叱られた神々が助けたのだろうか。
日蓮宗の「日蓮」は日蓮その人のことである。仏教諸派でも開祖の名がそのまま宗派名になるのは珍しい。それほど日蓮の個性が強いということなのだろう。

■現世を肯定する日蓮

現世を浄化する。日蓮はこれを妄想に終わらせない。日蓮は時の前執権・北条時頼(1227〜1263)に国家改造論「立正安国論」を上奏した。日本には法華経以外の邪教が広まっている。このまま放っておけば他国に侵略され、自国で反乱が起こると警告したのであった。この予言は蒙古襲来という形で的中することになるが、幕府は日蓮の提言を一切無視した(予言を信じるよりは賢明な判断かもしれない)。
日蓮はなぜここまで現世にこだわったのだろうか。仏教は行を積み、覚りを得ることで輪廻からの解脱を実現するための宗教である。つまり元々極めて内省的、個人的な宗教であった。これが大乗仏教となると他者の存在を重視するようになり、自分だけでなく他者を覚りに導く救いの宗教となっていった。日蓮はこの他者の概念をさらに国土・国家へと広げていった。現世を忌み、極楽浄土への往生を目指す浄土系仏教が向かわなかった現実社会、現世の国土・国家そのものを「覚らせる」ことで浄土にしようとしたのだった。国を覚らせるとはどういうことか。国家とはもちろん国民の集合体である。日蓮は念仏批判や「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることなどを、日々路上で民衆に説く辻説法を行った。法華経に帰依する意味の題目を唱えること(唱題)によって、絶対的真理である法華経の真髄を得ることができ、唱題者には目の前の現世が浄土になりうる(娑婆即寂光浄土)。そこに生と死の区別は消える。これが全国民に行き渡れば即ち、国全体が浄土となるのは道理である。極楽浄土などというあるかないかわからない曖昧なものではない。いま、ここを浄土とし生死を超越せよ。どこまでも前向きな日蓮の思想であった。なお、法然や道元ら高名な仏教者はいずれも辻説法は行っておらず、屋内での説法であった。空也(903〜972)以来とも言われる辻説法を行った日蓮のアクティブさはここにも現れている。 路上こそ太陽に向かって題目を絶唱した日蓮にふさわしい。

■行き過ぎる日蓮主義

日蓮の思想は他方で、満州事変の発案者・石原莞爾(1889〜1949)、2・26事件の精神的指導者・北一輝(1883〜1937)、血盟団事件の首謀者・井上日召(1886〜1967)など、歴史を揺るがした、多くの過激な日蓮主義者を生んだ。彼らの歴史的評価は一概には言えないとしても、日蓮のアクティブな攻撃性が過激な要素を秘めていることは確かだ。日蓮系教団の強引な布教(折伏)が問題となることもしばしばである。こうした側面も忘れてはならない。

■太陽の仏教者

多くの人には「南無阿弥陀仏」の念仏と「南無妙法蓮華経」の題目は同じようなものだろう。その内実は「念仏唱えてこの世から浄土へ逃げよう」と「題目唱えてこの世を浄土にしちゃおう」の違いということになる。逃げるか変えるか。それは好みとしか言いようがない(筆者は念仏をネガティブとは思わない)。
俗に「朝題目に夕念仏」という。節操が無いことの喩えで使われるが、日蓮や法然らの母校・天台宗では実際に朝に題目、夕方に念仏を称えている。極楽浄土は西にある。西は太陽が沈む方角である。夕焼けの空に向かい、静かな面持ちで極楽を思い念仏を唱える情景が浮かぶ。対して朝に唱える題目は日蓮の題目絶唱の逸話を思い起こさせる。一日の始まり、昇る朝陽に向かい、高らかに題目を唱える姿はエネルギッシュな日蓮そのものである。日蓮の前向きさ、明るさは仏教史上において稀有な存在だといえるだろう。

■参考資料

■日蓮 著/小松邦彰 編「『立正安国論』『開目抄』ビギナーズ 日本の思想」角川ソフィア文庫(2013)
■紀野一義/梅原猛「仏教の思想12 永遠のいのち<日蓮>」角川文庫(2014)
■末木文士美「仏典を読む 死からはじまる仏教史」新潮文庫(2014)
■平岡聡「南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経」新潮新書(2019)

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