青森や岩手を中心に東北地方に伝わる民間信仰の「隠し念仏」とは

岩手・青森を中心に東北地方に息づく民間信仰のひとつ「隠し念仏」。時の政府や浄土真宗正統派の本願寺から異端・邪教とされ弾圧、糾弾を受けながらも、今日まで受け継がれている。なお、「隠れ念仏」という似た名称の信仰があるが、こちらは九州の念仏信仰で全くの別物である。いずれ改めて論じたい。

■隠し念仏

隠し念仏は東北地方の町村に点在する秘教的な民間信仰である。念仏を教義の中心に置く宗派には法然(1133〜1212)が開いた浄土宗、親鸞(1173〜1262)の浄土真宗、一遍(1234〜89)の時宗などがあり、天台宗にも念仏信仰が含まれている。隠し念仏はこのうち浄土真宗の流れであると伝えられている。

真宗の「本家」といえば親鸞の子孫が継承する東・西本願寺だが、隠し念仏の諸派によると真宗には本願寺が伝える表の流れと、親鸞が一部の者に秘密裏に伝えたという「内法」があり、隠し念仏は京都の鍵屋宇兵衛なる人物が東北が伝えた「内法」であるとされている。それに由来してか、信者は隠し念仏のことを「御内法」「御内証」など と呼ぶ。親鸞以外にも弘法大師空海(774〜835 )らが本尊として崇められていることから、元々の土着的な自然信仰に真言密教と浄土真宗が混淆したものだろう。隠し念仏は八重畑派、渋谷地派、水沢派などいくつかの諸派に分かれて今日に至るまで命脈を保っている。

■秘事法門

隠し念仏の中には、親鸞の長男・善鸞(1217〜86)が東北に伝えたとされる「秘事法門」という流れがある。東北に念仏布教に赴いた善鸞は、自分は親鸞から念仏の秘伝を伝授されたと自称し教勢を広げた。その教えは土着信仰や密教的な要素も含まれていたと言われる。親鸞はこれに激怒する。親鸞からすれば念仏に秘密の教えなどない。高度な教養がなくては理解できない学問としての仏教である奈良仏教、選ばれた者にしか奥義を伝授されない密教。そのような無学な庶民と遠く離れた仏教に挑戦したのが、法然・親鸞・一遍の念仏であった。親鸞は善鸞を真宗の教えを曲解した異端を意味する「異安心」として弾劾、親子の縁を義絶した。親鸞の血統を継承する本願寺としては、真宗・善鸞派とも言える隠し念仏を認めるわけにはいかなかった。隠し念仏研究の先駆者・高橋梵仙(1904〜87)は、この善鸞ゆかりの「秘事法門」と隠し念仏(京都・鍵屋の系統は「土蔵秘事」などと呼ばれる)は、異なるとしているが諸説がありはっきりしない。本稿でも区別はしていない。

■秘密儀式

隠し念仏では「オトリアゲ」という秘密儀式が行われる。深夜、信者たちは仏前に向かい合掌し「ナンマイダー」や「助け給えー」という言葉を何回も何回も唱え続ける。そのうち意識が恍惚となり、いわゆる「三昧」の状態になっていく。そこを「善知識」(真宗の指導者と同じ名称)と呼ばれる導師が明かりを灯し、信者を救いあげる。また幼児洗礼のような「オモトヅケ」という儀式も存在するという。多分に魔術的な要素を帯びており、本願寺が異端とするのは無理もないとはいえる。深夜に民家の奥で秘密裏に行われるということで、いかがわしい行為が行われているような印象も拭えない。いずれにしてもこのような劇的な演出は信心深い庶民には効果的であっただろう。

■異安心

人知れず秘儀、密儀を行う隠し念仏諸派は本願寺からは「異安心」の極みと見られた。本願寺の原理主義は徹底していて、その歴史は異安心迫害の歴史でもある。親鸞正統の流れでありながら、その布教方法が異端であるとされた真宗・佛光寺派は、現代でも異端の汚名を回復することに苦心している(注)。まして自らを「内法」と称して親鸞の正統の教えは自認する一派など許せるはずもない。理想的信仰者として尊敬を集める「妙好人」と言われる人達がいたが、組織としての本願寺にとって妙好人の真摯な信仰の態度は、叛逆の恐れがない都合の良い存在でもあったのだ。

一方、時の政府である江戸幕府から見ても秘密結社的な集まりは、百姓一揆の謀議の場となりうる危険性があった。一国を制圧して自治国を設立し、織田信長を最も苦しめた一向宗(浄土真宗)だが、幕府と結びついた本願寺はその叛逆の牙を抜かれていた。しかし幕府の管理下に無い念仏集団は甚だ危険であった。こうして本願寺と幕府は利害が一致し、隠し念仏諸派に迫害・糾弾の手が伸び、弾圧は昭和に入ってからも続いた。幕府が抱いた秘密結社的な警戒を政府も抱いていたものらしく検挙もされている。
信仰の自由が許された現代においてなお、隠し念仏が表に出ることはない。隠し念仏の一派と接触したクラーク・チルソン(ピッツバーグ大学)によると、秘密が破られると教えがたちまち堕落してしまうと彼らが信じているからだという。また、チルソンは排他性による選民意識を生み、組織内の統制力を高め、指導者たちの権威を守る効果があると指摘している。この指摘通りだとすれば、確かに念仏は万人に開かれているとする親鸞が認めるものではなく異端視されても仕方がない。しかし、それだけだろうか。

注:この辺りの事情は、福嶋崇雄 他「仏光寺 異端説の真相」白馬社(1990)に詳しい。

■東北の「光」

まじないや祈祷といった類を一切否定し、念仏のみを説いた浄土真宗=親鸞の教えは、無学な庶民にも理解・実践が容易な「易行」である。その一方で密教の護摩などに比べて地味で頼りないと感じる者もいたのではないか。つまり演出が足りないのである。演出はやはり重要だ。「オトリアゲ」の闇から光への演出は強烈であり、信仰は増々深められたことだろう。親鸞の教えに基づいて言うなら、阿弥陀仏は「尽十方無碍光如来」と呼ばれる通り、太陽を遥かに超えた光の存在である。念仏を唱え、阿弥陀仏を感得するなら、物理的な光の演出など必要ないのである。だからといって隠し念仏の信者を無下に異端とするのも不憫ではないか。雪に閉ざされる東北の冬に太陽の光は何より大切なものである。東北の人達にとって「光」とは阿弥陀仏の概念だけに収まるものではなかったのではないだろうか。

■東北の苦難と信仰

東北の歴史は苦難そのものである。大和朝廷から蛮族として扱われ支配を受け、天明の大飢饉など幾度の飢饉に襲われた。そして現代でも東日本大震災という悲劇が襲った。厳しい環境の中で懸命に生きてきた彼らの中で救いとなったのが信仰である。確かに浄土真宗の正統から見れば異端そのものかもしれない。それでも東北の庶民は郷土に長く根づいた独自の信仰に光を求めた。

隠し念仏の信者は表向きは曹洞宗や真言宗であったりして、葬儀もそれらの宗派で営まれるという。あるいはその夜、念仏が響く本当の葬儀が行われるのかもしれない。隠し念仏の強かさと真摯な信仰は、令和の世も正統派の浄土真宗とは別の念仏の道を歩んでいくのである。

■参考資料

■クラーク・チルソン「潜伏する仏教集団-真宗秘密講はなぜいまだに隠れつづけるのか」『南山宗教文化研究所研究所報』第11号 南山大学(2001)
■門屋光昭「東北の隠し念仏と南九州の隠れ念仏」『人類学研究所通信』第9号 南山大学(2001)
■高橋梵仙「かくし念佛と祕事法門の混同」『智山学報』第4巻(1955)
■五木寛之「隠れ念仏と隠し念仏」講談社(2005)

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